ラインの守り

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ナチスドイツの最後の大反撃となるアルデンヌ侵攻、バルジ大作戦(ラインの守り)の開始される前日の1944年12月15日悪天候の中、ロンドン郊外のベドフォード基地から飛び立ったUC64A単発多用途機はそれきり消息を絶った。この八人乗りほどの航空機にはかのグレン・ミラー少佐が同乗していた。戦時中のパイロットは相当の名人揃いだというが、それでもダメな時はやはりダメだったらしいい。操縦していたのは、こんな悪天候の中、三十回以上もB24爆撃機の任務を遂行したモーガン少尉だったという。まあ、ウィキにも乗っているが、英爆撃機の爆弾廃棄による爆風でやられたという説が有力らしいが、霧のなか操縦ミスで海に落ちたのかもしれない。

ヒトラーが戦局打開を目指して、大攻勢を目論んでいることを国防軍最高司令部(OKW)作戦部長アルフレート・ヨードルに打ち明けたのは四十四年の7月31日だったという。ヒトラーがヨードルに要請した5つの条件の中の一つに、作戦開始当初の10日間は、連合軍空軍の活動が不可能な悪天候の時期を選ぶことというのがあった。とんでもなく視界の効かない深い霧と靄の状態は作戦遂行には持って付けだった。

アルデンヌの森も雪まみれのぬかるみで、どうせロクな対策も取っていないはずの連合軍にいっぱい食わせる絶好の好機だと踏んだヒトラーが、大方の不安を無視して反撃に出たのは12月16日だった。連合軍総司令官アイゼンハワー大将も、11月に悪天候が近づいていることは承知の上で、ブラッドレー中将
の大12軍集団に対して、アルデンヌの森の南北のラインに大攻勢を敢行するように指示していた。この一帯は地形的には防御力が強いので、米軍の側にも多少緩みがあったものと思う。このバルジの戦いは結局は早々にガソリンが枯渇したりして大失敗に終わるのだが、最初だけうまく行ったらしい。16日土曜日の午前五時三十分にドイツ軍砲兵が一斉に砲門を開き、寒さに震える米歩兵連隊に襲い掛かった。大体アルデンヌ全線135キロメートルの守備についている8万人と少しの米軍に25万人のドイツ軍が襲い掛かるのだから、初めのうちは勝つだろう。それでも最初にドイツ軍がハーフトラックに手招きされて近づいた時、いきなり一斉射撃を浴びて百人以上のドイツ兵がなぎ倒されたというから、米軍もあまり穏やかではない。日本への原爆投下でもそうだが、勝つに決まっている戦いで犬死にするのはバカらしいという思いがそうさせたのだろうか。

作戦初日は概ねどこの前線でもドイツ軍の圧勝であったが、米軍の予想外の大抵抗によって、ドイツ軍の作戦も遅々として進まなかった。ヒトラーは、アメリカ兵達がかつてのフランス兵のように次々と投降するものと読んでといたのかもしれない。兵士といえども個人の自由意志で行動するアメリカ兵が、国家の命令で最後の一平まで戦うことを強いられるソ連兵と同じようなことができるはずがないと思っていたのかもしれないが、アメリカの歩兵達は決して投降しなかった。それでドイツ兵は敵が全滅するまで長時間踏みとどまって戦わなければならなかった。弾薬がつきると、米兵達は自分たちの陣地を砲撃するように味方に頼んだ。少しでもドイツ軍の進撃を遅らせるためである。このようにして、攻勢2日目になるとシャーマン戦車や対戦車砲の応援も加わって、ますます米軍の抵抗は手強いものとなっていった。しかし、今日の戦史では勝者がどちらかわかっているのでアメリカが簡単に反撃に転じたように思いこみやすいが、ドイツ軍の作戦計画も驚異的に巧みであって、資源も枯渇しているはずなのにどんどんと進撃していったことも確かである。

ヒトラーにしても、米軍に多大な犠牲が出れば世論が戦争の継続を許さないだろうと踏んでいたのに、自分の方は絶対に大丈夫だという妙な自信を持っていたらしい。

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