健康法の誤り

ビタミンCが風邪の予防だなどというのは大ウソという本があったので、どういう理由かとおもってとりよせてみた。奥田昌子の「なぜ健康法は効かないのか」という2色刷りの本だ。今年10月に出版されたばかりのだいわ文庫のものである。以前読んだ本ではどうしてもビタミンCは健康に良いことを強調していたが、どちらもありうるということらしい。見解によって表現の違いはより目立つが、言っていることをよく考えてみると大した違いはない。実際、ビタミンCべた褒めであらゆる万病に効くなどと謳っていた前の本でも、健康な人は一日15グラム以上摂取するのは好ましくない、たぶん下痢を起こすから、100グラムも取ってよいのは病人だけと言っていた。疫学調査では1万人を対象にした試験で一日200グラムのビタミンCでは風邪の予防効果はないことが確かめられたというが、1万人ではさしたることも言えないだろう。
なぜ、健康法は「効かない」のか? (だいわ文庫) [ 奥田 昌子 ] - 楽天ブックス
なぜ、健康法は「効かない」のか? (だいわ文庫) [ 奥田 昌子 ] - 楽天ブックス
表現の違いなんていうのは、いわば各人の顔が異なるようなもので、本当の心などというものとは全く異なるものである。特に生命に関する事柄については、それは天体の成長についても、岩石の流動などについても、多分に当てはまることなのだが、往々にして逆向きに働く力の顕著なるがゆえに、大概の場合振動は中点に回帰してゆく性質を有するものなのだ。現在各国で採用しているPCR法などにしても、さしたる意味はないが大きな意味はあるのであって、免疫のほうの岡田晴恵氏などはずっと初期のころからそういうことを言っていた。最終的には集団免疫ができるかワクチンが開発されるまではどうにもならないと言っていたが、わからない人はわからないもので、どうしても一位に決めたい向きは「女心と秋の空」のようにとらえていたようだ。もともとは「男心と秋の空」だったのが、西欧社会の仕組みがされてから「女心」になったらしい。どうも理解しがたい行動を無理やり感情的で首尾一貫しない支離滅裂なものと決めつけてしまう男性社会から生まれたものらしい。多少嫉妬心みたいなものもあったのだろう。Aは非Aでもありうるということを承認できそうな雰囲気は西洋文明のどこにもなかったし、今の世の中でもそう信じ込んでいる向きが大半だと思う。それで岡田さんなどは大概非難の的である。中点回帰の原則から言えば、コロナウイルスのはびこった今年は、インフルンザのほうはぐっと下火になるはずなのだが、そういうことをあらかじめ主張した人があまりいなかったのは意外な展開であった。同じウイルスという種類の製品が同時に繁殖することなど多分あまりないだろうというのは、ニッチが空白にならなければ種は増えないということから類推されるべきものであったが、世間では異口同音に「冬になってインフルエンザが流行ったらどうするのか」と言っていた。

最近の本だから、コロナについても書かれているが、戦後初めて人類が遭遇した危機というほど大げさなものではやっぱりなさそうである。本書では新型コロナの死亡率は高いとなっているが、実際に日本で死者が頻出しているのはインフルエンザや結核だという。そういえば、結核などは不思議なくらい恐れる人はいないが、毎年コンスタントに2千人近く死者がでている。細菌による疾病ではあるが、高齢者ほど発症するという点で、インフルエンザよりもむしろこちらに近い。ただし、結核の場合幼小者の死亡ゼロなどというほど若者に被害がないわけではないらしい。死亡率も人口10万人当たり1.5人以上と、コロナなどよりもずっと高いのであるが、コロナの場合は医療機関の経済的負担が大きいせいかやかましく喧伝されるため必要以上に戦々恐々としているものが多く目につく。しかもインフルエンザ、結核とも、ワクチンがあってこの始末であるから、コロナなどよりずっと危険な訳なのであるが、マスクを着けているせいもあるかと思うが、交通事故などと同列に「コロナは目に見える」と思って皆歩いているような気配さえする。

03_04.gif

日本では高齢者の病のイメージのある肺炎のほうは、実は世界的には年齢性別に関係なく罹患するというので、この点でコロナと比較するのはあまり相応しくない。日本が戦後被った最大の災厄は、たぶん東北大地震だったのではないかと思う。あの地震で500万円以上の被害を受けたものは、きっと何百万人規模だろう。2万人もの人が一沖にいなくなったのに、人々の話題に上ったのは原発からの放射能漏れのほうであった。マスクの代わりに放射線カウンターがずいぶん売れたらしいが、放射能で死んだ人はいなかったらしい。当時の放射能騒ぎよりかは今のコロナ騒ぎのほうがまともだといえる。それでも似たようなことを繰り返してはいる。前にも述べたが、高齢者絵あっても5人に4人前は普通の風邪と同じであって、しかも年齢調整後の死亡率は老人のほうが低いらしいのに、これだけ大騒ぎしている。例のスペイン風邪の大流行でも、日本での死者は40万人ほどに過ぎなかった。計算しやすいように当時の人口を今の半分くらいだとすると、今80万人の死者が出ると当時と同じ状況になるが、とてもそこまで行く気配もない。人口が日本の3倍のアメリカ合衆国でも、まだ20万人の死者は出ていない。アメリカなら300万人が死んでも、死亡率は1%だ。多分アメリカのコロナによる死者は30万人未満で収まりそうだから、死亡率は0.1%未満だろう。大部屋に1000人集めておいて、ライフルの銃弾を一発だけ撃って誰か一人を確実に射殺したくらいであるなら、事故の多かった時代なら今ほど恐れなかっただろう。それだけ今は平和で長閑な時代なのだということを改めて感じる。しかもライフルによる狙撃と違って、コロナウイルスは死者を選択するのだ。体力の弱った病気持ちしか餌食にしない。

「大モンゴルの時代」に次のようなことが書かれていた。「モンゴルの輝きと繁栄は永久に続くかに思われたが、せいぜい半世紀ほどしか続かなかった。その最大の理由が天災であった。当時の歴史世界すべてを覆った地球規模の環境悪化は半世紀以上続いた。地震・洪水、長期にわたる異常気象・そして当然の飢餓と疫病、社会の流動化。黒死病はその最後にやってきた悪魔の群れの一人に過ぎなかった。…もし、今、半世紀以上にわたる大天災と異常気象が続いたならば、高度な発達を誇るこの現代文明が果たしてそれに耐えられるのか。戦後の世界の好況・発展の元には、まれにみる長期の気象条件の良さがあった。」。戦後の発展は極めてラッキーだったのかもしれない。人間は何かと自分自身の努力で産業技術を向上させたので、食糧危機などは起きなかったなどというが、真相は単なるうぬぼれかも知れない。波風の極めて立たなかった静かな温室の中を人類は生きてきたのではないのか。些細な打撃を受けただけで、まるで巨大なハンマーで殴られたように倒れてしまうもろい社会が、今の文明社会ではないのか。この程度で大騒ぎして、「前代未聞の大災厄」などと決めつけているのは、いかにも今が甘い社会であることを露呈しているものなのだろう。前年度日本で起きた疾病の100倍の災厄が起こっても、まだ「大」という形容はつけにくいのが世界の歴史だ。大災厄と呼べるのは、その災厄単体で人口の減少をもたらすようなものだろう。今の日本でいえば、年間100万人から150万人が死亡するようなものに限られる。過去の歴史では火山の大噴火で人類の過半数が死に絶えたと推測されている。有史以降dは黒死病がよく話題になる。ヨーロッパでは人口の2~3割、エジプトやシリアではそれ以上の人口減少が起こったそうだ。

戦後かまびすしく言われ続けてきた健康常識などというものも、実はすべて幸運な自然環境に支えられてきたもので、地球全体がいつもの過酷な自然へと回帰していったときは、現代医療とはまるでさかさまの療法のほうがよほど好ましかったのだということになるのかも知れない。今でももしコロナの感染力が強まれば、「日頃手を洗わないでいてよかった。免疫機能が強化されたのはそのおかげだ」などと思う人も相当出てくるだろう。



非常に気に入ったのは、「何かを選ぶのは感情であり、理性は理屈付けをして、その選択を正当化しているに過ぎない」という言葉だった。20世紀までは、何かと理性重視で、感情はそれに付随するように考えられていた。ところがそれは誤りであったと、少なくとも今はそう考えられている。それどころか、行動はすべて感情によるのであって、理性などというものはすべて過去を覗く身勝手な望遠鏡に過ぎなかったらしい。

反対に気に入らなかった点は、コレステロールの件だ。コレステロールは細胞膜形成に不可欠な栄養素であるから、やはり平均よりもかなり高めのほうが健康といえそうだ。平均と同じが健康の尺度であるわけがない。細胞が生きるために必要な物質だから、人体のほうでひっきりなしに生産しているのであって、肝臓のほうで体脂肪のことを考えずにサボタージュしてコレステロール値が低下しているというのは、それは無意識に死を望んでいるのではなかろうか。無意識が生を望んでいるからコレステロールという栄養物質を過剰に生産するのである。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント