『反逆する華族』を読んで。

「消えた昭和史」を掘り起こすという副題がついている。平凡社新書から2013年秋に出された作品だが、毎度ながら日本の歴史を見ていて物足りなさというものを感じるのは、「この人たちは本当に現実世界が実在するものと思って歩んできたのだろうか?」という点である。西欧の歴史なら、異なる人生観を持って生きているものもそれなりに存在している。けれども日本では何時でもそうした人々は芸術家や学者の類で、実業界には一切登場しない。それがとてつもなく日本史を殺風景なものにしている。だから私は日本の歴史は好きではない。本書もあまり面白くなかった。ただ、福沢諭吉が「最高の政治形態は無政府だ」といっているのに、皆マルクスをやっているのが癪に障った。当時情報は得られなかったかもしれないが、そこに気が付かない連中というのは、少し間抜けではないかと感じた。まあ、今はマルクスよりアナーキーだろう。資本主義経済では常にものを生産しつづけなければならないという欠点がある。この点、共産主義なら、円高局面では輸出企業の国外向け生産を一切停止し、労働者には給与だけを与えるという芸当ができる。円高なので賃金分の紙幣を増刷してもインフレにはならない。余剰のマネーは海外へ投資して、輸入品などの支払いにあてればよいだけである。

それはそうと、まえがきのところで知ったのだが、敗戦後、戦勝各国は現行家族制度『公、候、伯、子、男』の5爵位は残そうとしたそうであるが、帝国議会の猛反対で、結局完全消滅に至ったということが書かれていた。大日本帝国政府がそれだけ国民の顰蹙を買っていたことの表れではないかということをうかがわせる一面である。であれば、靖国神社参拝などはいよいよもって非国民的行為だといえるのではあるまいか。つまり国民的行為とはすなわち共産主義的行為となるのが自然だからである。マルクス系でもアナーキー系でもよい。激しい反目があった割には、両者とも意外と似通っている。特にアナーキー系が「あなた方とは違う」などと声高に叫ぶことはかなり違和感を感じる。唯物論的思考を持たず、心の自由な動きを常に希求するグループが他者の自由な過去の解釈を否定するのは相当おかしなふるまいである。そういうこともあって彼らには貧困さを感じるのかもしれない。「心の貧しいものは幸いである」的なものだ。そういう根性だから、アナーキストはしばしばテロリストと同一視されるのかもしれない。話のついでに言うと、「こんじょう」を普通に変換すると「根性」となるが、正しくは「根生」ではないか、「根性」などと書くから頭でっかちで妙なのが生まれてくるのではなかろうかなどと思う。

さて、私はもともと日本史などというものは大嫌いだったから、華族がいつごろできたのかなんていうことはもちろん知らない。いつぞや図書館で、ソビエト連邦のある州立中学校の自国の歴史教科書というものを見て、日本のものと比べてあまりに事細かく、しかも分量も3倍以上はありそうなのを見て、ひどく落胆したことがある。自分の国の歴史についてこの程度のことしか教えないのでは、およそ愛国心などというものが身につくはずもないと思った。開港の歴史の浅いアメリカだって、もっと具体的で面白おかしい偉人のエピソードで自国史の教科書を飾っていることだろう。もっとも先の福沢諭吉にしても、「政府が愚かしいのは、国民に学がないからだ」とはっきり言っている。学のない奴を相手にしてもばかばかしくてきちんとした政策ができない。

それで調べてみたのだが、古く清華家の別称で、明治になってからできたわけではなく、七清華家として鎌倉時代から存在していたことがはっきりとしている。近衛大将を経て、太政大臣に昇進できる家柄という意味なら、すでに平安時代末期には見られていたそうだ。三条家とか西園寺家などがそれにあたる。彼らのことを称して古くから、華族とか英雄家などと呼びならわしていた。それが1869年の版籍奉還で、公家と諸侯が全部華族と呼ばれるようになっただけだったらしい。1870年代には427華族が存在していたという。18884年7月の華族令では、三条家のみ公爵位を、他は侯爵位を授けられたという話だ。まず、世界的に見ても、こうした華族とか貴族なんていう特権階級には、一般国民にはないほどの忠誠心が求められるのが当たり前だから、反逆した場合の罪も重くなる。



第一に挙げられているのが、石田英一郎(1903-68)という男爵3代目だ。一高時代に社会思想にふれた。はじめは金目当てに勧誘された程度だったらしい。ウィキには社会活動をしていたことについては触れられていない。ただ3.15事件に連座して一時収監されていたことが書かれているだけなので、それほど無我夢中だったという風にも見えないが、自分たち安閑としている連中などよりも、日々労働にいそしむ職工たちのほうがよほど尊いのだとしていた。彼らに欠けていたのは、過剰生産が経済の停滞を招くという概念だろうか。海外ではすでに過剰生産の毒性を警告していた向きもぼつぼついたことはいた。例えばマルクス(*)の娘婿のポール・ラファルグだとか、英国の数学者で社会運動家のバートランド・ラッセルなどである。しかし、世界大戦前の日本にはこのような警世家が存在していたのかどうかは疑問である。未だに日本ではひたすら生産活動を続ければ、世の中は明るくなると信じ込んでいる向きが多そうだ。まあ、仕事がなければふさぎ込む性格の持ち主であれば、確かにものが作れないと目の前が真っ暗で暗くなるというのは本当のことであるから、一面こういう考え方も成り立つように思える。過剰生産こそが恐慌の源だという説は経済学者のガルブレイスなども展開していたが、日本では自説が真逆に理解されて閉口していたとは本人の話だ。日本人というのは、論理で物事を理解するという人間が少なくて、何事も感情で理解する「和のタイプ」が多いのは考え物だ。

(*)マルクス本人は、過剰生産の弊害についてはあまり深く考えなかったらしい。これはやや意外な感じのするところだ。ラファルグの述懐では、義理の父とはほとんど話が合わなかったという。「たった2時間の労働力の削減が10年間でイギリスの生産力を3分の1引き上げるなら、一日の労働時間を3時間に抑えればフランスの生産力はどれほど高まるだろう」とラファルグは言う。

このころの治安維持法にはすでに、「(日本共産党は)、国体を変革し、また私有財産制を否認することを目的とする」などといういい加減なことが書かれている。とんでもない曲解である。まあ、最近の阿部首相の集団的防衛権にしても、憲法など解釈次第でどういう風にでも変法できるのだから、物事というものはさかさまに眺めようと自由自在だということであり、成文憲法等意味をなさないのであれば、政府などというものは元来不要であるというよい証拠だ。元来人間の自由と平和を希求して構築された共産主義には、私有財産の否認などということはあるはずがないものだ。それは生産手段だけを国有化するということはあっても、個人の自由を制限するようなことはあってはならないことで、こうした制限ならば、むしろ資本主義の側に多いのである。

昭和12年2月に欧州へ渡航する際に彼は、「マルキシズムにいろいろの理論的の矛盾、誤りを感じていることは事実」と述べている。おそらく唯物史観のことだろう。それで彼は唯物史観の民族学と対立している文化史学派の史的理論にマルクス主義の不足点を補う所を見出したそうである。日本共産党のほうは、石井栄一郎がマルクス共産主義から民俗学へ鞍替えした事を、「裏切り者」などとしてみていたというが、こうした日本共産党の態度こそ唯物史観の限界を示すものではなかろうか。

彼は中国北京に滞在しているときに終戦を迎えて、それが非常にうれしかったらしく、仲間の学者とともに北京郊外の中国八路軍司令室を訪れて、「日本人学者が共産党支配地域に残留し、研究を続けることはできないか」と申し出たそうである。向こうの司令官は、「間もなくわれわれが北京を攻略するから、それまで待っていてほしい」と応じ、食事を招待されたということである。中国軍の方もかなり安堵した様子がうかがえる。



第2に挙げられているのは理研の改革者でもあった子爵大河内正敏の嫡男信威(のぶたけ)だ。徳川第三代将軍家光時代の老中松平信綱に始まる名門だ。明治になって松平から大河内と改正し、明治17年7月に子爵となったそうである。これくらいの家柄でも、男爵の一つ上の位に過ぎないというのがいささか腑に落ちないところはある。まあ、徳川とのつながりが深くても、維新政府にとっては朝敵のしもべとでもいうことになるのか。しかし、星亮一の「偽りの明治維新」を読んで以来、日本政府はインチキ政権に思えてならない。

大河内信威(1902-1990)についてはほんの20ページほど触れられているだけで、これといったことも書かれていない。



次に挙げられているのが、学習院グループの共産党事件であるが、ここでは昭和初期の共産党が金銭に関して妙な腐敗ぶりを示していたことがつづられている。マルクス流の唯物論の単純振りが原因だろう。つまり唯物論では世界は一つという結論しか出せないから、常に不完全な思考しか導きえない。自分以外の思想を持つものは常に排撃しようとするから、泥棒みたいなことでも平気で行うことになるのだ。そこのところは独我論のほうがよほど正しいのであって、直接認識できる世界だけが実在しているわけである。他者からの情報で得た世界というものははるか過去の物であって、それら一切は実在しているわけではない。

翻って考えてみると、マルクス唯物論の歴史観というのは、ヘーゲル流の弁証法から発展したものであって、その底流には「歴史は常に進化する」という西欧流の傲慢で身勝手な考え方が潜んでいるものなのであった。所が世界にはそんな考え方とは無縁な生活を送っている人々がごまんと存在しているのだ。1960年代になってサルトルの実存主義とやらを非難して構造主義の基意を気付いたレヴィ・ストロースの『野生の思考』が発表されたのが1962年だった。ストロースは文化人類学者で、生きた人間の化石を調べあるくような人であった。机上の哲学によってはろくなことが見えなかったのだ。一時期、マルクス思想が復権するかのように見えた時期があった。ことに2008年のリーマンショック後の数年間においてはそうであったように思うが、根本的にごく狭い範囲の共同体社会―おそらく数十人単位―でしか通用しないような思想であっては、無理に決まっている。マルクス主義だと、遠く離れた別社会の人間に向かってさえ「あんたの考え方は間違っている」としか言えないから、こんな短絡的な思想はない。しかし、構造主義を世間一般の人間に適応すると、「がんばらなくていい」という風な意見が大半になってしまうらしいので、これもすっきりしない。主体性など持たせるのが完全不可能だというのが人間の本質であるのは確かに一面真理(*)ではあろうが、そうした者たちを眼中に入れるべきではないともまたいえるであろう。世間一般にこうした風潮が蔓延すると、為政者にとって統治というものは比較的容易になる。それが縮小すべき国家を逆に拡大するような結果を生む。実際「がんばらなくてよい」という気風は10年ほど前に急速に世間に浸透していった。テレビCMにもしばしば顔を出していたからそう感じるのだが、昨今下火になってきたようだ。思想史上の発見から一般に普及するまでに2世代ほどかかっているのは、教育が普及するまでの猶予期間か。構造主義が世俗化、陳腐化すると、人間=動物となるらしい。犬猫の命も人の命も同じものという意見だ。デカルトの「われ思う」にしてもただ漠然と思うだけなのであって、個人などという自覚の観念はただの社会的学習効果だ。レヴィ・ストロースは未開人の自我の観念が社会的な集合的自我であって彼らには個人という感覚がないことを知って、ルネサンス以降の個人主義が全くの幻想であったことに気付いた。個性などというものは後天的に作られた学習による錯覚だ。もちろん主体性などというものもあるはずがない。蜘蛛が巣をつくるようなものに過ぎない。それで今は、個人の理性を主張したカントよりも、集団の理性というものを主張したヘーゲルのほうがむしろ評価される。高度成長期とは逆の考えだ。たまさかにこうした哲学の話を知力の低い連中に話すと、途端に大笑いされることがあるが、実にいやな感じだ。もっとも、哲学の用語にしても、例えば「器官なき身体」などという言葉を中学生などに聞かせたら、いかにも大笑いしそうな感じがしなくもない。こんなおかしな和訳をこしらえた方にも少々責任はありそうだ。原語の方もおかしいのだろうか?

(*)なにかというと「主体性を持て」などと口やかましく訴える啓蒙書の類はすべてペテンだ。あんな子供だましの大嘘に騙される方もどうかしている。こんな偽りの書を世の中にばらまいていて恥ずかしくないのだろうか。

それでともかく、華族に厳しい判決ばかり出て、例えば十分反省して共産党からは足を洗ったようなものにまで懲役刑が出たりしているので、昭和一桁の時点ですでに天皇が危機感を募らせていたそうである。大正天皇の時代からすでに軍部の暗躍が著しかったのだろう。優れた天皇であれば、大杉栄の虐殺事件など起こすべからざる暴挙であって、断じて取り締まるべきなのであった。大体共産主義が天皇制を否定するなどということも、あるのかないのかはっきりしないことなのである。「生産を共有する」ということ以外何をするかどうかは国民の意志で自由に決めるというのが本来の共産主義だ。信頼感を重視する企業が採用に当たって家柄を重視するのも、古くからある家柄の子孫には歴史の重みというものが重なっているからである。そこからすると、天皇の家系であれば、まず最も信頼できることになる。ソ連が失敗したのは、共産国の伝令など遠方まで届くはずのないものを、無理に国土を拡大したからであって、一億も人民がいれば最低一万諸邦くらいの連邦共和国にするべきだったのである。それでも、先日テレビで、チェコスロバキアのアパートの住人が「このアパートはスターリン時代に無償で提供されたものだ」といっていたのには驚いた。確かに独裁国家には生活費や教育費がタダ同然という所が少なくないようではあるが、スターリンの時代でさえ住宅が無償だとはどういうことだろうか。



おしまいの4番目に、その学習院グループで検挙された者たちの中で一人だけ自殺した岩倉靖子について触れている。明治の元勲岩倉具視の曽孫にあたる。本来は子爵が妥当であったというほどの家柄だったらしいが、五摂家並みの公爵の位を得たから、何かとねたみや嫉みが多くて、華族や皇族の集まる学習院には通いづらかったらしい。殊に康子の父親の岩倉具張(ともはる)が周囲の非難を浴びるとんでもない放蕩息子だったというからなおさらだ。家族連中の自殺となれば服毒が普通なのに、靖子の場合は自宅の蒲団の中で剃刀で頸動脈を切った。1933年冬の早朝だったという。満21歳になる直前であった。片親、特に父親がだらしないと子供が自殺するという見本のようなものに思える。特高に検挙されたことが原因とみるには、死に方が復讐自殺の形をとっているのが気になる。

三代目が財産を食いつぶしたから、岩倉家は食うにも困っていたということになっているが、こういう話はどうも信用できない。明治中期に作られた「旧堂上華族保護資金」というのがあって、昭和初期で年間6千円がタダでもらえた。当時内閣総理大臣の月棒が800円ほどであったらしい。だから普通の感覚だと「ふざけるな!」ということに、どうしてもなってしまう。これは全然働いて収入を得ていたということを意味していないからである。資産のある間は、土地や株式の配当所得以外にも、時折資産運用益で利ザヤを稼いでいたようであるから、全く遊び暮らしていたとは言えないにしろ、今風にいえば約ニート的生活だ。まあ、やりくりは超へたくそだったに違いない。男性に関しては外へ出て働いていたらしいが、多分暇つぶしという感覚で、生活のためではなかったはずである。なぜわざわざ暇つぶしのために堅苦しいいでたちをするのかはわからない。

靖子は前述の理由で、学習院には居づらかったらしく、日本女子大で英文学を学んだ。だから世間のことは一般の公家連中よりはわかっていただろう。同族の贅沢が恥ずかしくてならなかったが、人夫達が汗水たらして働くのを見て、不憫さから涙ぐむという程度だったというから、本質はそれほど理解していなかったのだろう。それでたまたま読んだ書物の中に、マルクスの思想を見て単純に共感したのだと思う。本書では過度なほど彼女の死を美化して描いている感があるが、少しばかり自殺のやり方に短絡的で身勝手なところも見受けられた。

以上、全体を通して、「消えた昭和史」というほど大げさなものは感じなかったむしろ、なぜマルクス主義などというものにこの時代の人々が引かれたかということの方に疑問が生じた。東洋史観から見れば、マルクス唯物論に消しがたい傲慢性が潜んでいることなど、即座に分かりそうなものに思えてきたからである。事実、福沢諭吉の場合、けだしマルクス社会主義の誤謬にはいち早く気づいていた。それだけに、近代日本の歴史が西洋かぶれにすぎて、東洋の魂を失いかけていたことがうかがえる次第である。




余談だが、華族の子孫というのも、映画活動とか芸能活動などを通じて、かなり一般とも接触がある。上原兼だとか加山雄三なんていうのも、先に挙げた岩倉家の血筋を引いているし、河内桃子なんていうのも大河内だ。そういう風に見てみると意外と親しみを感じる。というより、芸能活動というもの自体が余暇活動から生まれたものなのだろう。



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