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zoom RSS 精神力の偉大さ

<<   作成日時 : 2014/08/17 10:07   >>

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ここ2週間ほど更新していなかったが、気晴らしにファイナルファンタジー7を引っ張り出して遊んでいたからだ。FF7はこれで3回目である。終わりのほうまで行ったので、エメラルドウェポンという海にいるモンスターはさほど強くないので撃破しようとしたら、2回やって2回とも全滅してしまった。めんどくさくなって攻略法をネットで調べたら、ウィンセントの最終兵器が最も強力に成長するのだという。128体倒すごとに基礎攻撃力が1ずつアップし、カウントが16進法でFFFFになるまでアップするらしい。つまり16^4−1=65535対倒してやっとレベルアップが止まるそうだ。しかしそのためには512回も128対倒すのを繰り返さなければならない。128体を30回戦うごとに倒すとして、30回も戦いを済ませるには30分はかかることを考えると、一年では無理だろう。

それでどうしたものかと考えているところだ。

さて本論に入る。


ある朝目覚めたら突然大悟して、その日から米語が自在に操れるようになったという人の話を聞いた。昨日までは全く片ことしか話せず、聞いてもおぼつかないという風であったという。いわゆる精神の飛躍というものだろう。

今日意外なことにこの手の話を信じようとしないものが多い。20年か30年ほど前の科学万能主義の時代の思想であれば、記憶などは徐々に蓄積されるものという考え方が普通であったろうが、現在のようにスピリッチュアルな思想が復活の兆しを見せている世相にあってもこの種の人間が存在しているというのは案外なものだ。


スポーツの世界ではだいぶ前からメンタル・トレーニングということがいわれていて、大体筋力づくりでは一日延べ15分ほど運動をすればいいらしい。あとは練習したつもりになりきることが大事なのだそうだ。心で念じれば肉体改造は思いのままということにもなりそうだが、こうした効果を熱中症予防などに応用できるかというとどうも疑問らしい。今の子供は汗腺の数が生得的に少なくなっているというデータがあるそうだ。もっとも、昔なら5歳までに死んでしまっていたような虚弱なものが成人になるのだから、平均すれば体力がなくなったように見えるのは計算上当たり前のことだ。虚弱なものが死なないような躾を平均的子供に施せば、当然ひ弱になるだろう。だから28度くらいでも、簡単に熱中症になるということになる。昔インドで起こった「ブラックホール事件」(1756年6月)で陋屋の中で多数の白人が死亡した事件を思い起こさせる。汗腺の数を精神力で増やすのはまず不可能だ。その代わり肥満体質を転じて脂肪を減少させれば、相対的に汗腺が増加したのと同じ効果がある。これなら意志の力だけで何とか可能かもしれない。けれども、世代を重ねた努力が遺伝的変化をもたらしたのではないかと思える事象もある。アメリカに住む黒人の肌が薄い色になってきたことなどである。あるいは汗腺の減少も、継代的無意識の努力が足りなかったためなのかもしれない。しかしながら、汗腺の生得的現象が熱中症に寄与している程度のものが全体だとは到底いえそうもないもので、半数近くはただの思い込みによるものだと思う。神や狐に憑依される種類のものと同様で、きわめて愚かしい精神病の類のものだ。

言葉の解釈の問題だと思うが、いわゆる精神論だとか根性論だとかいったものは、一体どこまでが意志に関わる部分で、どこまでが無意識にかかわるものなのだろうか。またその無意識の部分はどこまでが脳に関わるもので、どこからが体に関わるものなのだろうか。体といっても、おそらくは脊髄までが根性に関わるものなので、いわゆる中枢神経を飛び出した範囲にまで拡張して根性論を持ち出す定義はさすがにおかしい。どことなく、精神論というと大脳機能の前頭葉の意志に関わる部分、根性論というと無意識の部分にまで範囲を広げて関わるもののような印象を受ける。英語だと、精神は[spirit]、根性は[nature]などに該当するようだから、こちらの方がよりすっきりとわかりやすい。物質的なものと非物質的な物との違いとなり、両者がはっきりと別々なものであるというニュアンスが強い。日本語にすると、どうもあいまいで、両者がしばしば重なって解釈されているような印象を受ける。


もっとも、日本でも欧米でも、ある程度齢を重ねたものほど、「根性で乗り切れ」などと口やかましく青少年に説きがちではあると思う。脳が成長期に達したものでは気力を振り絞ってこれを末梢に伝えることなど比較的簡単だ。しかし青少年の場合は、とりわけ頭脳の成熟の速いものでしか気力を容易に発揮することはできない。中高年の多くは自分が若かったころのことを忘れているのだ。

今の小中学生の親というものは、大体30から45くらいの年齢だ。彼らが受けた教育というのは、私の世代の詰め込み教育と比べればちょっとましだろうが、それでもゆとり教育と比べれば大分お粗末なもので、思考力といったものを持っていない人間がほとんどだ。だから親からまともな子育て方法を教わっていなければ、途端に右往左往してしまう連中なのだが、彼らに教育を施すべき親というものが彼らに輪をかけて思考力ゼロの連中なのだ。そうして彼らの親に子育ての教育を施した世代―現在80代から100歳ほどになる―というものは、いわゆる軍事教育の洗礼を受けて幼年期を育った。彼らの子供の世代は軍事教育は全くの間違いであったことを強く頭においているから、自分たちが教わった子育ての仕方も間違っているに違いないと考えただろう。したがって自分たちの子供には結果として大変に間違ったしつけを行った。それが今の小中学生の親だ。彼らは学校での教育も、親からの教育も、二重に間違った教育を受けたといえるのだ。学校の教育の弊害は将来になってから現れるが、親の教育が悪いとしばしば子供は成人できない。かつての自分たちの親が子供に疎遠だったからといって、その逆に良心そろって子供にべたべたしすぎると、軟弱過ぎる子供が育つことになる。子供の方では自分の親は特別程度が低いものと思い込む。過度に接近すると人の欠点だけが強調されて見えることは子供の場合も同様だ。それだから何か面倒なことが起きるとこの世からおさらばして解決しようとするし、自殺ということに罪悪感は感じないのだ。

大体において、自殺してこの世から消え去れば本当に何もなくなって楽になれるのかという保証はどこにもない。死ねばすべてなくなるなどとは他人が勝手に決めたことに過ぎない。生命の神秘なんていうものは解明されたわけでも何でもない。死ねばむになれるものと期待して、苦労して死んでみたら、実は阿鼻叫喚の地獄だったということもありうる。いわば不眠症に悩むものが、『どうにかして寝たいものだ』と苦心惨憺してやっと寝てみたところ、翌朝になったら再び目覚めが襲ってきたようなもので、いつまでたってもちっとも静寂が訪れることはないのかもしれない。してみると自殺とは努力を重ねて試みるほど価値のないものである可能性は十分にある。それならば天井を眺めてぼんやりと怠けていたほうがずっと賢明だ。

思考力というものがないのだから、精神の飛躍などということも起きるはずもない。だから、精神力の強さで体に根性を湧きあがらせる可能性のあることも理解できないのだろう。それだから、夢といえばせいぜいマイホームを建てるなどという誰にもできそうなことに限られるのだ。私が高校を卒業したころだったか、小坂明子などというシンガーソングライターが出てきて妙な歌を歌って、周りの大人たちから「今の若い奴の夢はあんなにちっぽけなものなのか」と盛んに揶揄されていたことがあるが、そういった傾向はいわゆるバブル期になってもなお盛んであった。当時の高校生というのは、男女を問わずいずれも赤子のようなペタペタ歩きをしていたもので、あれは何だったのか未だにわからないのだが、そうした歩き方をする彼らは自分たちとは一種異なる人類だというので「新人類」と称されていた。けれどもそうした新人類が45歳くらいになった現在を見てみると、彼等もまた旧態依然として、戦後連綿として続いてきた社畜に他ならなかった。


精神論だとか、根性論だとかいったものが、充実した人生を送っていく上で極めて大きな思想上の重きを持つということは確かな事であろう。それなのに、なぜもこれほど否定的な見解が多いのだろうかというと、これは多分多数派が充実した人生を送っていないということを示しているのではなかろうかと思う。多分多くの者達は精神の飛躍というものを体験したことがないのではなかろうかという勘繰りもここから生まれてくるのだ。



「昔は熱中症などというものはなかった」などという言葉は、ひょっとして「うつ病などは気力で防げる」と同じくらい真実なのではなかろうか。ただ受けが悪いために、偽りの表現とされているだけであるような気がする。例えば最近、若年性白内障というものが増えているそうである。どうも私などは、白内障は60代70代を過ぎて罹患するもので、その確率も90歳ころまでに発症するものが90%程度ではなかっただろうかという思いがするのであるが、このような肉体的病にしても、案外気力の遺伝的喪失の表れなのではないかと感じるのである。白内障など、原因が特定できていない病は、たいていが免疫疾患といえるものだ。免疫を鍛える納豆やチーズなどの摂取が欠乏していたりするのではなかろうか。免疫が弱まれば気力も弱まる。油断しない気力がありさえすれば、屋内で熱中症などにはならないはずである。


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