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zoom RSS 「幻の潜水空母」を読んで

<<   作成日時 : 2015/06/27 09:35   >>

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また戦記ものだが、前回述べた富嶽と比べると、潜水艦空母によるニューヨーク爆撃は十分に実現可能であったようである。ミッドウェーの大敗退の後で、日本軍は作戦全体を再考し、新規大型間の建造は一切取りやめて、空母建造を第一に、ほかは小型艦、特に潜水艦の建造に努めることを計画していたという。これも以前は聞いたことのないものだ。この本は2089年に書かれたものを文庫版にしたもので、2001年の上梓だが、ネットではいまだに、戦後になるまで日本は大艦巨砲主義だったなどという意見が多いようである。実情は、運悪く山本長官が18年4月に戦死してしまったことで、日本軍に右往左往が広がり、あまりはっきりした方向性がなくなってきたことで、空母など余計危ないものに見られたことが大勢を決めたのであろう。

恐らく緒戦の大勝利半年を過ぎても米国が講和を提示してこないので、大幅に予定が狂った大本営が放った最後のあがきで、少しはアメリカを驚かせてやろうといった体のものだったろう。もともとアメリカの平和ムードを当てにして、1000人も戦死者が出ればびっくりしてすぐ講和条件をのむだろうと思っていたはずだが、10000人死んでもギブアップしてこない。人間の心理状態から考えて、政府はもちろん、軍部の上層部はガダルカナルに進出した辺りで、もう戦意喪失気味だったものと思う。作戦も何もなしのおっとり刀の代表としか思えないのが昭和19年10月25日から3昼夜にわたって行われたレイテ沖海戦だ。戦艦金剛が重巡洋艦鳥海を誤射するという失策も起きている。どうもこれが原因で戦列を離れたところを敵にやられ沈没したらしい。どうも古い人は知らされていなかったようだ。どこの国であってもこういうことは隠蔽するものだ。しかし、多勢に無勢とはいっても、これではバカにしか見えない。かつて真珠湾奇襲で味方に撃墜された日本の戦闘機が一機も出なかったのを「日本軍の訓練の賜物」と絶賛されたそうだが、もうこのころにはそんな誇らしさは残っていなかったようだ。第2次大戦における同士討ちによる犠牲者は平均2〜3%であったというが、日本軍の自慢はこれが1%未満であったことにあるそうである。近年はこの同士討ちが驚異的に増加して、湾岸戦争でイギリス軍が撤退したのも、同士討ちによる死傷者が過半数を超えたからだそうだ。何ともバカらしい。

大体、大本営発表に数々の誇大表現があるというのがそもそもの疑問で、ああした負け惜しみみたいなことを言う場合は、まず例外なく心では逆を考えているものである。心にもない強がりを言わざるを得なかった背景には、大衆の反逆という要因が大いに働いていたに違いない。その一つの例がポツダム宣言降伏文書受諾に対する陸軍将校たちのクーデター騒ぎである。昭和20年8月15日の時点においても、まだ日本はかなりの体力を温存していた。終戦間際に行われた特攻作戦にしても、国民全般の戦意をくじくために、日本政府と軍部上層部が考え出した給与の作戦だったのかもしれない。原爆を落とされても降伏しない連中というのは、全く意地の塊というものだ。駄々っ子をする子供と同じである。

現実の世の中を歩いていても、外見から察せられる性格がそのまま内面にも当てはまる人物などまず存在しない。それにもかかわらず世間はただ外物に牽かれて動いている。頭が足りないのか。愚者というものは得てしてそれしか出来ないのかは知らない。人の心の働きというものは、およそ人類が国家というものをこしらえてから威光大差はない筈であって、歴史に記されていることなどわずかばかりの勝者が自分たちのご都合主義で後世に記したものに過ぎない。当時の世相など反映したものでは全くない。戦時中に生きていた者たちの多くの心情は現代社会に生きるものと変わりはしない。それを当時は時代背景が異なるから何事も現代とは異なる、正悪の判断も今とは異なる、とやったのでは大いなる誤謬を招く。

それは一つには国家の感得する「今」とは個人が感得する「今」とは異なり、間隔を持つものであるということにもある。原因と結果との隔たりが極めて大きいともいえる。しばしば両者の感覚は個人の生命の長さに匹敵する。それがどちらも「今」なのだから、個人に国家組織がつかめないわけでもある。近代国家成立以降において、戦争は大衆の臨んだものであり政府の阻止しようとしたものであった。それが国家的一呼吸の間に、政府がやむを得ず開始するものとなり、やがて政府が望み体臭が阻止しようとするものへと変わっていったが、それはどちらも「今」であったので、同時にどちら側も相異なる両端を望むこととなった。

本書により、潜水艦に偵察用の航空機を収納して置くという計画はかなり古く、第一次大戦時から各国で実験され、かつ実際に運用されていたこともあったということを知った。しかし、日本を除いた何れの各国も次第に運用を廃止し自然消滅の形をとっていたという。コストばかり嵩んで採算が合わなかったからだろう。逆にいえば、そんなことのできた日本の膨張主義が諸外国のそれとはいささか種類の異なるものであったことを暗示させる。

確からしい最初の偵察機収納用潜水艦の実験は1919年にアメリカで行われ、同じころドイツもこれを開発していたという。実戦で最初に使用したのはイギリスで、1925年のことだという。日本はその7年後に、伊五潜に偵察機を搭載したのが最初だそうだが、これが世界初の実用化とある。イギリスが世界初かとも思うが、「自然消滅」だからダメなのだろう。イギリスびいきの人間なら先取権はそちらにあるというのかもしれない。要するに歴史は解釈の問題で、そこにはかなりの恣意性、嗜好性といったものが介在している。真珠湾奇襲の10日ほど後に、湾内の被害状況を偵察したのも伊7潜から発せられた水上機だとあるが、潜水艦の活躍については全くと言ってよいほど聞いていない。私の子供のころは、風船爆弾についても口外するものはあまりいなかった。「絶対口外してはならない」ときつく口封じされていたためか、「そんなものは想像の産物だ」などと語るものが多かったように思う。ただテレビでは、宝塚のグループだと思うが出演するたびに「何万発も作ったのに、絵空事のわけがない」と言っていた覚えがある。あのころは「どちらが本当だろうか」などとぼんやり思っていたものだが、今にしてみれば、圧倒的に大衆が誤っていた。真実は、風船爆弾の製造などにはかかわらなかったものが圧倒的に多数であったので、ただの多数派の合意が史実となっていただけなのだろう。

太平洋戦争勃発の時点で62隻あった日本軍潜水艦のうち33隻は偵察機付きのものだったというから、その多さに驚く。真珠湾奇襲直後に潜水艦による空爆の作戦を上層部に具申している。伊25潜水艦が昭和17年9月9日と29日の2回、76キロ焼夷弾をオレゴン州ブルッキングス北北東の森林地帯に投下したという話は以前に記した。同年度の潜水艦用哨戒が弱かった期間はこのほかにも数度太平洋岸のコンビナートなどを潜水艦が砲撃していた。ドイツUボートとは違って、日本軍潜水艦の破壊力はかなり強力であったので、戦闘用としても十分使用できるものだったそうである。さらに、同年3月にはK作戦として二式飛行艇2機がマーシャル諸島のウォッゼを発信し、ハワイを再び空襲して無事帰還しているそうだ。開戦後半年は破竹の勢いであったというから実際こんなこともできたのだろう。

一機しか収容できないというのではいかにもせせこましく、実際ブルッキングズの爆撃譚を聞いたアメリカ人は日本人の冒険物語を聞いて嬉しそうであったという。真珠湾奇襲→ドゥーリットルの東京爆撃→潜水艦によるブルッキングズ爆撃の流れを見ると、最後が一機だけというのではいかにも物足りなく、何か笑い話のようだ。それで真珠湾奇襲の後、山本五十六長官が「アメリカ東海岸近辺まで潜水空母を忍び寄らせ、米本土を空爆しよう」という作戦を起草したという。ここでいう「アメリカ東海岸」とははたして今でいう正式名称であるアメリカ本国から見た「東海岸」なのか、それとも日本側から見た太平洋沿岸をそう呼んでいたのかについては、本書にも断りが載っていないのでよくわからない。仮にニューヨークを爆撃するというのが目的ならば、いったん潜水艦空母をドイツにまで運んで、いったん休息ののち再び出港のつもりだったのかもしれない。山本長官の要求していた潜水空母なるものは航続距離4万カイリだったというから、そうなると「東海岸」とは今日の意味の大西洋沿岸ということになる。筆者の佐藤氏もそうした見方であるが、そうだとすると、現在の日本は過去の日本をあまりに過小評価しすぎではないかと思う。そうしてこのことは今日の文明人全般に言えるであろうことだ。若いころより今のほうが熟成しているとは、往々にして大衆全般の思う所だ。

どこにこれだけの研究用の資金があったのだろうと驚くことばかりであるが、海軍の藤森参謀は、昭和18年7月時点の意見書で、「緒戦の特殊潜航艇(甲標的)が日本海軍長年の研究成果である特殊電池を装備して、水中18ノットの高速を出しえたことに注目したものであり、この二次電池をさらに増大することができれば、大型潜水艦でも水中18〜20ノットを出し得るものと考える」と記していることだ。伊201型潜水艦などは実際に水中速度19ノットも出ている。現在の液滴型の海上自衛隊の潜水艦でも、水中速力は20ノットが限度だというから、こと船舶技術全般に関しては現在技術の立ち遅れ感は否めない。『なんだ全然進歩ないじゃん!』などとどうしても思ってしまう。多分、人間というのは、平均してかしこくなるにつれて、ずば抜けて賢いものの数は減少してゆくのではあるまいか。その点に大きな錯覚が生まれるのだろう。また戦時中の兵士たちの水準を、エコノミックアニマルといわれた経済成長期のなさけないサラリーマン連中と同一視してみていたりしたら、そのことも誤りを招くだろう。

パナマ運河建設を立案した最初のヒトはエルナンド・コルテスで、1523年のことだと、『パナマ運河史』という本にあるらしいが、彼の思いついた手法というのも、案外現在の閘門方式に近い物であったのかもしれない。よく話題になるのがピラミッドの建設で、どうやって巨石をあのような高いところまで乗せたのかということがあるが、水の力を利用したと考えれば案外楽に謎が解けそうだ。古代社会においては、数十万人という敵の住民および兵士を瞬時に壊滅させる方法は、水力の利用による方法しかなかったと思われる。必要は発明の母で、古代ローマがしばしば行った水力による岩山の破壊法は、火薬による爆砕に慣れ親しんでいる現代の技術では極めて困難なものだ。しかし、レセップスの時代になると、すでに水力の利用技術は不便な門としてすたれていった模様である。したがって、パナマ運河開通にあたっても、レセップスの行おうとしたのはシーレベル方式であって、ために起伏のあるパナマ海峡では結局挫折した。結局アメリカが10年の歳月をかけて1913(大正3)年に完成した。運河の全長は64キロメートルだそうで、この全工事で掘削した土量は2億4200万平方ヤード、貨車にすれば地球を3周繁茂する膨大なもので、万里の長城、スエズ運河などとともに人類史上の大事業とされているそうだが、どうもそれほどたいしたこともなさそうに思えてしまう。ほとんど大西洋側ギリギリに位置する大きなガトゥーン湖というのがあり、この湖の水量を当てにした構造だ。大西洋側の閘門を破壊してしまえばこの湖から一興に水が漏れ出して、運河は使い物にならなくなるだろう。ただし雨期に入ると、干上がった湖もたちまち満旦になるというのが日本とは事情の異なる点だ。パナマ地峡付近は曲がりくねっているので、太平洋側の入り口が大西洋側の入り口より東側にある。爆砕の最終決定がなされたのは、昭和19年の2月。もう敗色濃厚の頃だ。

こうして、いよいよパナマ運河爆砕のために昭和20年の6月に訓練を終え、間もなく出港の予定でいたところ、突如計画が中止となり、グアム付近のウルシー攻撃に左袒することになったという。結局当初18隻建造予定の潜水艦空母も、実際には2隻しか完成させることはできなかった。もうこのころになると、日本の近海を航行すると、沿岸の日本軍の砲撃を突然受けることが多くて危なくて航行できなかったそうである。潜水空母の方でも、搭載している水上戦闘機晴嵐の日の丸のマークを勝手に米軍の星のマークに書き換え、機体を銀色に塗り替えるなど、国際法違反の行為を平気で行っていたという。日本軍の偵察機が飛んでくると、急いで隠したというから、こういった真似をする部隊もかなりあったのではないかとも思われる。いよいよ負け犬というものはこういうことを平気でやるようになる。

ポツダム宣言受諾後の軍司令部の反応も、「昨日和平渙発されたるも、停戦協定成立せるものにあらざるを以て、各潜水艦は所定の作戦を実行、敵を発見せば決然之を攻撃すべし」というものだったという。案外、北方のソ連軍に対してもこんな調子で、停戦後も戦闘が続いたのは、こちらの応対に問題があったからかもしれない。

戦後判明したところでは、トルーマン大統領は6月18日の時点で、日本九州に上陸してとどめを刺すオリンピック作戦を11月1日に開始することを決定していた。これはに日本軍司令部も予想していたことだというが、米国側の推計で、もしそうなれば米兵100万人以上が犠牲になるとみこまれた。100万人を救ったというのはここからきているようで、あとから拵えたものではなさそうである。(ダウンフォール作戦)。


潜水空母伊400が一つのモデルとなって、対艦用兵器としか見られていなかった潜水艦が大都市空爆用の兵器となる転機が訪れたそうである。当時クーラー完備の潜水艦等あまりなかったそうだが、多少効率は悪いものの(全然効かなかったらしいが)、この大きさ(全長122m)になるとさすがに設置してあったという。通常の潜水艦は耐圧性の向上のため出来るだけ断面を円形にしてあるが、伊400の場合は安定性向上のためメガネ状にしてある。

ユーチューブにNHKで放送した番組があった。「米本土爆撃計画」などとある。↓
https://www.youtube.com/watch?v=D8O-4TeW2uY

日本中が散々爆撃を受けたというのに、呉工廠の設備がほとんど無傷だというのにやや驚いた。米軍がいかに対空砲火の激しい場所の空爆を避けたかということを物語っているように感じた。もう勝利は決定しているので、わざわざ好き好んで危険な行為を犯そうとするものなどまずいないだろう。東京大空襲のように、ほとんど戦闘機の脅威しかないような場合でさえ、最大で3割もの爆撃機が撃墜されたという。


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