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zoom RSS 『双発戦闘機「屠龍」』を読んで

<<   作成日時 : 2015/08/23 09:17   >>

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屠龍というのは後部座銃に12.7ミリの機銃を備えていた「キ35」を指すのが正式らしいが、後部座銃は20ミリでないと破壊力は期待できなかったようだ。着陸の際が特に難しく、容易に失速するのが欠点だったという。初心者なら失速・墜落するような悪コンディションでも平気で上昇できるようなパイロットにしか扱えなかったともいう。昭和20年の春に、高高度戦闘機の上位バージョンの試作機2機のテストが行われていたが、空襲で2機とも焼けてしまったという。排気タービン過給機や気密室を備え、1万3500メートルまで上昇可能だったというから、焼失は残念な話だ。

高度一万メートルに達するまでには、秒速10メートルで上昇しても、1000秒はかかる。16分か17分だが、戦時中は速くても40分は必要だったそうである。現在は普通の旅客機でも10分くらいでそのくらいの高度まで達するらしい。結構強い加速度がかかっているが、地球重力の3倍の加速度は超えないようになっているはずである。小走りで走った上体のとき、着地した片足にかかる重量がちょうど体重の3倍程度だというから、それを超えないように配慮されているのだろう。それを考えると、宇宙飛行士の体力というのは凄いものだと改めて思う。

山本五十六を撃墜したのが双発戦闘機のライトニングであったことは知っていたが、B29撃墜専用にこれほどの戦闘機を日本が作りえたということは知らなかった。開戦当時日本に国産航空機を製造する工場がなかったということを、技術力がなかったという風に教え込まれていたからだ。開戦当時、日本はアメリカの5分の1の国力しかなかったが、軍事力はやや劣る程度であって、機動力などは世界の頂点にあった。それをひたすら隠し続けて今日に至ったのであるから、まったく世界政府の口先介入というのには腹が立つ。日本やドイツ政府の隠蔽政策にはほとほと閉口している。現在の日本の技術開発力を見れば、軍事政権の下ではそれに輪をかけてすばやかったということに気づくものが輩出しても少しもおかしくはないのだが、「勝てる見込みのない相手になぜ戦いを挑んだのか」などと決め付けるものは圧倒的に多い。「日本はこんなに弱かったのだから」という言い訳で。原爆を落とされたのだから同情してもらえるだろうとばかりの態度と似通ったものを感じる。実際、ドゥーリットルの東京空襲のころまで、「われわれより何倍も巨大な国と戦っていた」というのが米軍の思っていたことかもしれない。機動力そのものは日本軍のほうがはるかに勝っていたのだから、そういう見方もできる。日本軍と戦っていたのはハワイやカリフォルニアなど、西部7州ほどに過ぎなかったともいえるが、何よりも4年も5年も戦いが続いたということ自体が双方互角だったのではないかということを語っている。アメリカ人にしろ、言われるほど愛国心が高いわけではないだろう。それでもアメリカを始めとする連合国は適当に自国民を大事に扱った。まずそこに全世界が感動して結局勝ったのだろう。

圧倒的多数の人間は、通念により拵えあげた一見堅固に見える信条というものにしがみついている。それに加えて、過去の記憶は変えられないと思い込んでいるのだ。過去が存在していたなどという妄想は思考力の乏しい多くのものに共通する事柄であろう。しかしそれは誤謬などではなく、人類社会のあるところあまねく普及している正義でもある。人間社会の基盤はそのほとんどを占める愚物たちの存在がもたらしたものである。

最近太平洋戦争時の歴史本を読んでいて思うことがある。ゼロ戦など旧型機の評価が高いのは、開戦半年間の躍進振りを偲んでのことだったのではないかということだ。実際は遅くて役に立たないという不満のほうが高かったようである。空中戦を好んだというのもどうも現場サイドの声ではなさそうで、小回りは多少効かなくても複式のほうが速くて気分がいいというのが大方のパイロットの所感だったのかもしれない。それが戦後の回想では緒戦の軽快な思いでと重なって行ったのではないかと思う。戦史などというものは7割か8割がた記憶の中でこしらえ上げられたもので、それぞれが都合のよい事実だけ寄せ集めて作られたものだ。西側連合国だけに高得点が与えられるように作られている。枢軸国の評価は最低かというと、ソ連と比較すれば高得点だ。日ソ中立条約など、これを最初に破ったのは日本側で、戦時中そのことは米国もソ連に指摘していたにもかかわらず、戦後になるととたんに日本の言い分が正しいとした。まったくいい加減なものだ。

ふと学生だったころの体験を思い出した。妙なことばかりに出くわすという友人がいて、2週間に一回ほどは何らかの事故に遭遇するという。実際、彼と歩いていて、それまで一度も出くわすこともなかった交通事故現場を二度も目撃したものだ。あるときは酔狂の連中に絡まれて警察の厄介になったことまであったのだが、そのときの酔狂2人組みがともに旧陸軍の特攻隊で、盛んに自慢話を派出所ないで披露しはじめた。やっとのことで彼らを追い出した跡で、派出所の景観がつぶやき始めた。「何が陸軍特攻隊だ。陸軍がだらしないから負けたんじゃないか!」。40年ほど前までは陸軍ばかりさげすまれていたが、最近はどちらかというとその逆で、むしろ海軍のほうがしまりがなかったということになっている。陸軍のほうが頭が柔らかく、自由な発想が多く生まれたという。どうも実際に戦場に赴いた兵士たちの記憶違いによるものかもしれない。陸軍兵士の生活は四六時中戦いに明け暮れているといってもよい。平時のほうが多いのだろうが、そのときもさまざまな害虫と戦わなければならない。それが妙な記憶を形成する種となって行ったのかもしれない。PTSDになるものも、元陸軍兵士のほうに圧倒的に多かっただろうが、彼らの証言は当然妄想的で根拠はない。第2次大戦中、病院に見舞いに訪れたパットン将軍が、見舞うべきはずだった兵士を殴りつけたというのも、あまりの妄想振りに愛想をつかせたからではないだろうか。そういうことで、今陸軍が一部見直されてきているようなのだが、これもそのうち変わるかもしれない。真珠湾奇襲などは、考えようによっては「四月馬鹿」見たいな作戦で、こういうふざけたことはよほど愉快なやつしかやりそうにない。

昔、「提督の決断」というゲームで遊んでいたころ、ゲーム時間の夜になると航空意が使えないのを怪訝に思っていたが、なんと実際でも海軍ではそうであって、夜間飛行の行えるのは陸軍パイロットのみであって、海軍は高角砲(高射砲の海軍呼称)で敵夜間爆撃機に対抗するよりなく、それも当初は陸軍からの支援を拒絶していたが、「高射砲による味方戦闘機の誤射もやむをえない」との陸軍からの強い申し入れがあってようやく支援を取り入れたということが書かれていた。ラバウル以南は陸軍の活動禁止という取り決めがあったためだという。この辺の話はまるきり陸軍の勝ちだと思う。


それはともかくとして、本書巻頭の言葉でまず驚かされたものがある。【飛行機が登場して以来、「より高く、より速く、より遠く」の3条件が基本的な命題であり続けてきた】というのである。そんな、オリンピックの標語のような文句を私は聞いたことがない。航空機にはそれぞれの目標にあわせて三種類あるということなのだろうか?

筆者の渡辺洋二氏の考え方では、米軍のP38双発単座戦闘機のほうが、双発複座戦闘機屠龍よりも圧倒的に優れているということになる。しかし高度1万メートルまで上昇可能な屠龍と、高々8千メートルも上昇できないライトニングとを比較するというのは最初から無理な話だと思う。筆者の考え方なら比較できることになるのだろうが、それというのも、過去は現在よりも長距離の記憶再生が可能であるからに過ぎない。大型爆撃機としては最高性能のB29ではあったが、それでも一連の東京大空襲のうち、最も犠牲の多かった場合はなんと2割以上の機が撃墜されたという。マンハッタン計画に匹敵するくらいの莫大な予算をかけて開発したにしては、なんとばかばかしいという感じもする。逆転勝利間違いなしという焦燥感の中で、これだけやられたのではストレスがたまるばかりだ。連合軍の誇る最高性能の爆撃機が、撃ち落される危険性のそれほどない民間施設を攻撃してこんな具合だったとはかなり驚いた話だ。逆に言えば最後の詰めを算段する側の気苦労もひしひしと伝わってくる。連合軍のあせり、もう一人の犠牲者も出したくないという焦りが伝わってくる。太平洋戦争終結時点ではアメリカは強がりをいっていたが、内心はせっかく念入りに製造したものがばたばた打ち落とされるといった感じだったのではなかろうか。ウィキペディアによると、太平洋戦争中に出撃したB29の総数は3万3千機で、日本軍に撃墜されたものが714機だという。およそ2.2%であるが、おそらく後半になるほど被害が増していったのではあるまいか。東京大空襲ではかなりの数を撃墜したという高射砲部隊の証言もあるようだ。

屠龍にしても、B29の現れる前はあまりぱっとしなかったが、なにしろB29の弱みは高度が高すぎて護衛戦闘機がついてこられないということにある。「超空の要塞」などといわれる割には簡単に落ちたようだ。子供のころは、高度が高すぎて高射砲が届かないなどということになっていたが、届くものも多かったようである。普通は、高度7千メートル程度より以下は高射砲、それ以上は戦闘機の役割となっていたから、1万メートルまで高射砲は届かないなどといわれるようになったのだと思う。しかし、と竜が現れると、せっかく高高度用に設計したB9も役に立たなくなり、結局は護衛戦闘機がついてこられるところまで高度を下げざるを得なかったという。大変な無駄となった感じだが、そうすると、原爆投下時のB29の振る舞いというのは何のかよくわからなくなる。超危険だったのではなかろうか。B29の機銃はあたらなかったのか、比較的簡単に直下まで追い抜いて撃破したという。どうも名人級の飛行気乗りになると、航空力学の理論などあまり関係なくなってくるのかも知れない。地上における合気道の達人がいるようにだ。日本人は昔から命令遵守方だったなどといわれているが、案外個別の記録では命令違反のようなものも目に付き、意外だと思わせる点である。現在の猛烈企業戦士などと比べると、別の国の話かと思うほど自由気質の人間が多かったようだ。

重いエンジンと長大な主翼を支える翼根が重爆撃機の致命部で、ここを37ミリ砲で一撃すれば、それでもう落ちていったという。たった一発あたっただけでもう翼が吹き飛んだともいう。37ミリ徹甲弾の重さは約700グラムあったそうであるが、これ一発でアウトだというのも、爆撃機の乗員にしてみればたまったものではなかっただろう。一方の双発戦闘機のほうは、B29の機関銃で50発やられたくらいではなかなか墜落しない。案外一方的に勝負はついてしまったらしい。重爆にとっての脅威というと、複座戦闘機に取り付けられた機体後部の斜め銃だと思っていたが、主力はやはり前方の機関砲であったようだ。斜め銃の強みは連続射撃ができたことにあるらしい。太平洋戦争の始まる以前の段階で、日本海軍がゼロ戦に装備させていたエリコン式の九九式一号中ですでに毎分525発も発射することができた。戦争末期だと毎分1000発の発射速度だから、もう現在と代わり映えしない。最近半世紀の技術の低迷振りが如何にひどいかを象徴するかのような話だ。発射音だけ聞いていると、バルカン砲のほうがずっと速いが、単に砲身が多数あるからに過ぎない。一方のB29の武器は20ミリ機関砲と12.7ミリ機銃というのが標準だったようだが、12.7ミリの機銃ではパイロットに当てなければなかなか双発機を撃墜するまでにはいたらず、20ミリ機関砲のほうも案外しょっちゅう目詰まりを起こしていたという。たいしたことがあったのかなかったのか、よくわからなくなる空の要塞である。後日譚的にはB29がなかったら日本は降伏できなかったということになっているが、同種のB17戦略爆撃機にゼロ戦がばたばた打ち落とされた記憶から空の要塞と呼ばれるようになったのかもしれない。ちなみに、米英でも口径20ミリ以上になると「機関砲」であって、この水準でもドイツ軍は「機関銃」と呼び習わしていた。この言葉遣いから連想されるのは、ドイツ軍の弾丸は巨大だっただろうということだ。

しかも、米軍はおそらく知能戦の勝利と得意になっていたかもしれないが、終戦間近になると、B29の銃座がコンパクトな電子式になった。そうすると遠隔操作しなければならなくなるため、反応が遅れ、銃弾がほとんど当たらなくなったはずだ。ベトナム戦争で頻発したという目暗撃ちの様な事になってしまっただろう。ますます双発戦闘機の接近には便利になっていったはずで、やぶへびの発明であったろう。

ただし双発複座戦闘機というのは、単発単座戦闘機に対してはほとんど無力で、大型爆撃機に対する優位性と合わせると、ちょうど三者の関係はじゃんけんの「グー、チョキ、パー」の関係に近いものを連想させる。異常なくらい三すくみだったらしいから、パイロットの気持ちというのも多少はかかわっていそうだ。いわゆる「ジンクス」というやつだ。「斜め銃」も、20ミリ機関砲のどっしりっとしたやつがこう案されると、これでも容易に爆撃機を撃墜できるようになって行った。海軍の夜間戦闘機「月光」だ。昭和18年も半ばに達するころのことだが、このころには彼我の軍事生産力には数十倍の開きができていたという。いくら撃墜してもすでに遅かった計算になる。

陸軍のほうでも、海軍の成功の報を耳にすると、早速開発に乗り出したのだが、当初はB17には無力な12.7ミリ砲を取り付けるのが精一杯で、この面は海軍の技術力のほうが勝っていたらしい。それなら互いに技術交換を申し込めばよさそうなものだが、どちらとも頑として交流しようとはしない。今から見ると、兵隊の命にかかわることだからそんなことをしている場合でもなさそうに思うのだが、軍隊活動というのはもともとビジネス活動の延長であった。海軍、陸軍ともいわば別会社であって、企業秘密は企業秘密だったのだろう。昔も今も、戦争で血を流すなどということを想像するだけでぞっとするタイプの人間の方が圧倒的に多かったということは変わらない。今の人間だけがことさらに平和ボケなのではない。むしろ、戦というものを知らない今の人間のほうが好戦的であるという可能性もある。明治初期の人間は弾圧されて死傷者が出ても、政府の徴兵命令には反対して一揆を起こした。今の反戦運動にそこまでエスカレートしたものは感じられない。大体、これだけ自衛隊という名を借りて軍事力を保持して用心を重ねているのに、「平和ボケ日本」というのも少しおかしくないか。どうも戦争を反対しているだけのまともな連中に向かって、「平和ボケな奴等だ」といっているような気もする。まあ、世の中はバカが過半数を占めるのであるから、何とかボケが多いというのは真実なのだろうが。通勤途上の災害死を賭して国家の経済発展に貢献しているさまは、兵士がその生命を国家にささげているのと大して変わりはしない。それなのに企業戦士たちが『われわれは兵卒ではない』などとしている点が平和ボケなのであろうか。

それでも陸軍も何とか20ミリ砲を斜め中として取り付けることにたどり着いた。同じ20ミリ口径でも、弾丸自体の重さは海軍の3分の2程度しかなかったが、その代わり発射回数が多く、本格的な航空砲と言ってもよい代物だったそうだ。

斜め銃の発明で、敵爆撃機の死角に近い下方からばったばったとすれ違いざま次々と撃ち落していくのであるから、双発機側にしてみれば「これで日本は救われた」などと思ったかもしれないが、実際は日々撃墜するよりも、新たに生産されてゆく敵爆撃機のほうが多かったはずである。昭和18年8月には、「絶対国防権構想」なるものが打ち出されている。その後終戦まで丸2年何をやっていたのだろう。日本軍が防衛力を発揮したというより、米軍のほうがまるきり戦意喪失の感じだ。秀吉の兵糧攻めといた印象しか受けない。ひょっとして、日本のほうから大将が降伏に出向いて行けば「ハイ、OK]という調子で即停戦だったのではあるまいか。日本軍が「B29対策委員会」を発足したのが昭和18年の4月のことなのだが、実際にB29が日本本土を初爆撃したのは翌19年6月15日になってからで、なんとも信じがたいほどのんびりしているように見える。異常なほどの遅延の理由はウィキにも少し触れられてはいるが、それでも戦時中にしては驚くほどの遅延状態だ。B29の火網は激しかったと言うパイロットがほとんどだったらしいが、やはり1機では死角があったようである。しかし、それも高高度からの昼間精密爆撃に思ったほどの効果がないことに気づいた米軍が、夜間低空市街地爆撃を行い始めてからはほとんど反撃らしい反撃は行わなくなって来たという。重い機銃を取り去り、通常の倍の量の爆弾を搭載したためだ。あいにく日本軍はそのことを知らずにいたそうである。そのこともあってか、たいした撃墜量も穂超えなかったが、米軍にしてみれば想定外の損失だったらしい。5月の横浜大空襲からは昼間爆撃に切り替えている。護衛戦闘機が飛びやすかったからだろう。ふと、無差別爆撃というのは、安全性を考慮した現場からの強い声を取り入れた民主制度特有のものではないのかという気がした。

昭和19年の末ころには、日本の防空飛行機に対して、米軍の攻撃機の数は10倍から15倍に達していたとも言う。こういう状態だと、米軍兵士たちは何を感じたかというと、『日本軍は目くら撃ちをしても、われわれの誰かを打ち落とす』ではないだろうか。士気があがったかというと、逆に低下したということも大いに考えられる。米軍司令部は、各々の戦闘機の機銃に、ガンカメラというのを取り付けて、きちんと仕事をこなしているかどうかを確認したというが、多くのパイロットは対空砲火などの防備の厚い軍事施設を避けて、ひたすら民間の家屋に攻撃を仕掛けていった。圧倒的優勢に立つと、どうも死ぬのはバカらしく思えてくるはずである。日本軍の上層部にしても、敵が十倍以上ともなると、少しくらい有能だったとしても、もう冷静な判断などできなかっただろう。だから当時の大本営の頭の固さは現在の官僚と変わらず、などというのは少々酷な話かもわからない


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