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zoom RSS 「B29基地を占領せよ」を読む

<<   作成日時 : 2015/12/13 09:06   >>

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B29について調べようと思って注文したのだが、あいにく飛行機についてはかかれていなかった上に、筆者の佐々木春隆氏の文章がどうもこなれていない。箇条書きの文章を読むようで、連続的に読めない。

昭和19年の中国戦線での話である。軍人は特別な職業などではなくて、サラリーマンと大差なかったのだとしみじみ思う。死傷の確率が極めて高い危険な職場であるというだけで、本質は企業戦士と同じものだ。一万倍くらい危険なだけで、後は大差ない。一日一万円でなく一億円もらえるなら、ロシアンルーレットみたいなこともやろうという人は多いだろう。いや、実際は一万倍も違いはしない。せいぜい百倍くらいのものかもしれない。恐怖感による過剰な増幅イメージでそう思えるだけだろう。平和日本などといわれているが、交通事故死だけで年間5000名くらいはいる。戦闘よりも一万倍も安全かというとどうもそうではなさそうだ。過去や未来などというものはどこにもなく、今だけしかありえないのに、人は過去は一意に存在し、未来は複数あるなどというこっけいな幻想を抱く。そこからさまざまな錯覚が生まれる。

中国大陸桂林を攻めるのだが、大洪水のおかげで日本軍は防御線の突破に成功するが、勝ち戦でも被害の大きな部隊にとっては負け戦と大して変わりない。軍人にとって何より重大なのは国家のありようだという信念に照らしてのみ、勝ち戦が祝い事となる。終わりのほうに、中国の司令官は、兵士を砲台に縛り付けて戦わせたということが書かれていた。捕虜虐待というのは国際法の取り決めにあるらしいが、自国兵士虐待というのはないのだろうかと思った。昔からこういうことを平気で行ってきたのだろうかと思うと、中国人も気の毒なものに思えてならない。「敵に対しては無類に弱いわが軍は、市民に対しては無類に強く・・・」と桂林防衛の中国軍司令官の日誌にあったそうだ。要するの強奪は時刻市民から行ったのが中国軍の伝統らしい。ここが味方の軍人同士から略奪する習慣のあった日本軍とは異なるところだ。日ごろ生死の境をさまよう生活を長年続ければ、泥棒など悪いとも思わなくなる。間抜けですきだらけのバカからは盗むのが当たり前だとなる。

この戦いで日本軍は毒ガスを使用したとも言われるが、しそれはどうだかわからない。蒋介石の中国軍はそれを主張している。本書には毒ガスについては一切触れられていない。東條英機も1942年以降毒ガスの使用は禁止しているという。しかし、実際に戦闘に当たっていた筆者も「どうも腑に落ちない」を連発している。疑問に思うところが多いらしいし、戦闘記録を見ても、記憶とはまったく異なっているところもあるという。中国は、被害者だといっても、当時から当てにならなさ、モラルの低さでは天下一品であったらしいので、余り信頼性はない。

人間社会の最大の合意というものは、過去はひとつに固定しているという取り決めだ。実際は見る方向によって事実というものは少しずつ異なっているので、過去の姿は実は複数存在している。それは各種裁判での被告と原告の言い分を見ても大方納得できる話なのだが、そうした場面を指摘されても、なおかつ人々は「過去はひとつだ」と主張するであろう。戦争物語などそうしたものに過ぎないので、中国から見た史実と、日本もしくは米国から見た史実とが互いに異なるのだ。実際には複数の物語をひとつだと主張しているのだから、パネルが組み合わさるはずもない。現代文明のおよそあらゆる国々が、過去はひとつであると固く位置づけている。お互いにそう契約しているといってもよいはずであるが、いまや無条件に誰もがそう信じているようだ。

わかったことはといえば、戦闘中の戦闘員が睡魔に襲われて困るということであって、どうも暇だから眠気を催すというものでもなさそうなことであった。逆に司令官や指揮官は、実際の戦闘は行わないせいか、眠れなくなるそうだ。弾丸が飛び交う中でグーグー寝られるというのはよくわからないことだ。やはり物事は体験してみなければ理解できないようだ。

それで、歩きながら眠って行進するとどうなるかというと、やはり普通の秩序ある行進というのはできなくなるそうである。夜行軍独特の現象で特に珍しいものでもなく、にわかに止まったり、急に急ぎ足になったりするのを、「遽止急進」(きょしきゅうしん)といって、きちんとおきて歩いているのかの目安にしていたらしい。行軍というのはもっともきついのが通常で、敵と遭遇して撃ち合いになると、ほとんどの兵士というのは喜び勇んで腹ばいになり、戦闘配置についたという。映画やテレビで想像する限りでは、戦闘状態がもっともきついものと思いがちだが、どうも違うらしい。死んだほうがよほど楽だった用だ。「敵さんがおれば一休みできるのになあ」というのが兵士たちの一般的な心情であったらしい。だから敵に遭遇したときの喜びもひとしおであった。まあ、海軍あたりだとたぶんそうではないだろう。海軍の戦いのほうが敵がはっきりしているからつかみやすい。海軍の兵士は敵と遭遇したとき悲しみ、陸軍の兵士は敵と遭遇したとき喜ぶ。

今のように平穏無事で閑暇のあふれている時代だと、起きているときと寝ているときの行動はまったく別であるのが普通だろう。しかし、耳などはどうも寝ているときがない様である。小動物が害獣に寝込みを襲われるのとは異なり、人の脳は進化を遂げて、寝込みを襲われても簡単な反応が可能なように出来ているのだと思う。

世情よく「偏見の打破」といったことを耳にする。「常識とは偏見の集まり」などという人もいるが、常識と偏見とは異なる。好感を与えるとか多数派により支持されるものが常識であって、その逆のものが偏見だ。だから上のように語るものがいたとすると、彼はかなり世間の常識から偏った人間で、その者自身が強い偏見の持ち主だということになる。たとえばアインシュタインの名言に「常識とは18歳までに集めた偏見だ」というのがあるが、こんなのがまったくの誤りであることは一目瞭然だ(*)。まともな人間なら18歳を過ぎても、冠婚葬祭の常識などをこつこつ獲得してゆくものである。だからアインシュタインの言う「常識」を「物理学の常識」と解釈しなければ、『アインシュタインはこれほど非常識で狭量な男だったのか!』となってしまう。こうした意識的な偏見とは異なり、無意識の偏見となるとかなり便利なものだ。カメラで人の顔を見ても平面の2次元画像にしか見えないが、人間の目には瞬時に3D画像が浮かぶ。近年のような平面の時代にはこうした立体像把握能力が次第に不要になってきた感がある。
(*)例によって検索してみたが、案の定この格言を真に受けているものが圧倒的に多かった。無思考としか思えないが、多数派は多数派だからどうしようもない。

寝ながらの行進に加えて、筆者が最悪の戦いだったと伝えているのは、ギリシャ神話のヘラクレスではないが、全裸で大砲を撃ったことだという。川渡りをするとき、どうも映画などで見るようなわたり方だと体が冷えるのかわからないが、水温が極端に低い場合は軍服もふんどしも脱いで裸でわたったらしい。それで敵と遭遇して全裸で撃ち合ったと言う。こんなことをした軍隊というのは世界的に珍しいのではないかと思った。それとも、テレビでは全裸の場面は放映できないので、渡河訓練の軍人は服を着ているのだろうか。服を脱ぐと反射的に発汗がとまるため、すぐに体が拭けることに加えて、水から上がった後の体温の低下を抑えるのかもしれない。

インターネットを始めたころ、たまたま「恐竜は雨で凍死した」という説を見てずいぶん面白がったものだが、服を着たまま川中に入れば、その後きっと凍死するのだろうと思った。しかし、実際の現場で本当に衣服を脱いで川渡りをするものとはまったく思っていなかった。いつ敵に襲われるか見当がつかない状況で平気で裸になれる精神風土というものは、現代社会とはまったく異なるものなのだろうか。それとも極限状況ではそうなるのが人間の習性なのだろうか。

おおよそ10名前後だと思うが、呼び寄せたばかりの味方の一個分隊のど真ん中に敵の砲弾が命中して、全員が飛び散るという場面なども目撃している。このころの軍人といえば、もうそれまでのようにくじ引きで兵士に選ばれるなどというものではなく、強制に違いないから、軍隊勤務などとてつもなく嫌だというものは不運というほかない。それにしろ、誰か必ず犠牲になるというところへ強襲攻撃をかけるというのはどういう神経なのかよくわからない。大体突撃などしなくても、もっと効率的なやり方があったのではなかろうかという気もする。戦争中は精神主義だったなどとよく言われるが、どうもそれも巷のうわさであるらしく、昔であっても、根性だとか精神一到などいうことを第一にするものは、現場を知らない上層部に過ぎなかったということがくどいほど書かれている。昔も今も人間の本質は変わらない部分がほとんどだと思った。頭だけで動くような人間は、心意気さえ広大であれば、事物は望むままに成就するものと思い勝ちである。しかしほとんどのものにはそれは不可能だ。力学の法則によって生きているだけで、死生を分けるのもただ数学的な確率のみだ。

「昔の人間は根性があった」などというのはある程度大嘘だ。確かに根性のあるものは相当に多かった。今の10倍か20倍か、もっと多かったかも知れない。しかし、それは当時の教育制度のおかげであって、一般世間に広まっているような噂話とはまったく異なる。根性のないのは戦後の画一教育のためである。優れた素質のものも、愚鈍なものも、一律平等に教育したのでは、根性のある人物は育たない。これが現在の日本の状況だ。画一教育で横並びでは指導者というものが出来ない。そうするといつまでも停滞から脱出する知恵が生まれないのだ。人間は根性なしの方が圧倒的に多いのだが、バブル崩壊後の長い停滞にあえいでいた日本社会ではほとんどすべてが根性なしだった。たまさかの根性のある連中がいたとしても、彼らは教師たちを見限って自立に努めたものたちばかりであったから、社会全体の繁栄などには興味もなかった。ゆとり世代になり、ようやく才能を開花する動きが見られるようになってきたが、彼らが社会の第一線で指揮を取るのは速くても10年後か20年後だ。思念がごく微細なミクロの物質の軌跡に影響を及ぼすということは今世紀に入ってどうやら明らかになってきている。であれば智者の優れた思念は過去、未来にわたるマクロの事柄を動かすということも大いに考えられるはずである。過去にそういった記録があることはあるのだが「誤認」とされ、科学実験でも「測定ミス」として片付けられてきた。戦闘のように高度な精神力と集中力が必要とされる場合では、しばしば物理科学上の定理法則では説明できないような事象も数多かったはずであるが、そうしたことは事実無根だとして一切が闇に葬られてきたであろう。いまさらに思えば案外本当かもしれないという話に、第2次大戦中、イギリスのウィットルゼイ大佐の率いる連帯が5年間戦って、一人の死者も出さなかったのは、旧約聖書の詩篇91章を隊員全員が暗証させられて、毎日繰り返し祈っていたからだというのがある。単に神に守られているという確信をえることで、注意深く懸命な行動を繰り返しただけだというお決まりの解釈によっても案外説明可能であるかもしれないが、念力によって弾丸の弾道が変化した可能性も少しくらいはあるかもしれない。

肝心のB29については何もわからなかったが、ただ本の後ろカバーにB29を後ろから見た写真があって、これを見ると、尾翼がやけに高いようなことに気がつく。



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