前世を記憶する日本の子供たち

医者が書いているので取り寄せてみた。医者にもこういう人がいるのは心強い。必ずしもすべての医者が社会道徳の教育をうのみにして生きているわけでもないのだ。しかしこうした自分自身の思考を信じて生きている医者というのはごく少ない。まあ、一般大衆にしても、単に知能が回らないので感情で前世を信じて動いているだけなのが多いだろうから、医者よりまともだとは一概に言えないが。夏に、『人間にとって健康とは何か』という斉藤環氏の新書本の感想を述べた際に、ヒトラーはものすごく健康度の高い人物だったということを述べた。あれにしろ、多くの人間にはヒトラーがケネディよりもまともだった可能性があろうとは想像もできないだろう。多くのものは不正を犯している。社会道徳で動くことは不正である場合が往々にしてある。正しさとは算術のようなものだ。けれども、ロジックの導くところが最高の高みというわけではないのはもちろんである。精神の高みをつかむことこそ最高なのだ。

前にも書いたが、チベットでは今でも生まれ変わりは社会常識だ。つまり存在するもしないも国家の教育による刷り込み以外のものはどこにもない。国によっては転生を信じたほうが国家の利便性と国民の幸福度を高めることになるだろうが、逆の場合もあるかもしれない。まず言えそうなことは、経済力とは得てして反比例の関係にあるのではないかということだ。先進国では輪廻転生の概念を否定しているところがほとんどだと思う。

届いた本を見ると、筆者の池川明氏は1954年生まれの産科医とある。もう少しで池上彰だ。目次を眺めていたら、おしまいに「世界は意識によって創られる」という私の気に入った表題があげられていた。現代の社会規範がどれほど低次元のものかということだと思った。いわゆる道徳的に「善し」とされる輩には、仮に知的水準は平均を上回っていても、非科学的解釈は頑として受け入れないものが多い。そんな考えでは先へ進めないだろう。

幼児の証言によると、胎児だったころは外の景色を臍から眺めていたそうである。どうやって臍から外が見えるのかわからないが、何か小さな穴から外界を覗くというイメージなのだろう。また、善政を覚えている子供は2割にも上り、彼らによれば自分の意志によって親を選んで生まれてくるそうである。通常「好きで生まれてきたわけじゃない」と駄々をこねるものが多いが、これらは教育による後付けの刷り込みなのかもしれない。この本が出版されたのは、2014年の3月末だが、その時点で過去性が実在するという証拠は続々と集まってきているそうだ。ヒトが死ぬと、霊魂は切り離されて中間生を漂う。そこから魂の意思で地上の母親を選別して生まれてくる。子供の証言ではそういうことになっているが、実際には「あの世」では魂は混然と一体化しているはずであるから、選んでいるのは個ではなくむしろ全であるはずだ。雲の上というのも、子供なりの表現で、現実には穴を通してみるこの世とあの世との距離などというものは原子の距離よりも小さいのだろう。両者は同じ時間と空間にあるのではないか。

興味深いのはバージニア大学での研究調査だ。過去生が蘇ることで病状が回復するという例である。原因不明の病状を追っていくと、そのものの遠い人生において何か不都合があったという場合だ。一種の悪魔払いのようなものだろう。また、現在親から虐待を受けて親に憎しみを抱いているものを退行催眠にかけると、95%以上という高い頻度で「この人を助けるために生まれてきた」と答えるものが多いということだ。世界を救うためという使命感のようなものもあったらしい。

生まれ変わりというものを日本で最初に研究しようとした記録文書は、どうやら平田篤胤の『勝五郎再生紀聞』が最初らしい。程久保村の九兵衛とおしづとの子供として生まれ名を藤蔵といったが、5歳の時疱瘡で死んでしまった。そして生まれ変わって勝五郎(1815-1869)となったと主張したが、これが逐一合致しているので、篤胤が大変興味をもって彼を養子としたそうである。これが小泉八雲を通じて海外へ紹介され、アメリカで大々的に研究されることになった。輪廻転生という現象が存在するのは事実なのであるが、社会の趨勢から無視されるのは、それが全く意味不明の出来事であると同時に、利用価値ゼロどころか、むしろ経済効果にとってはマイナスの影響をあたえそうなものだからであろう。霊媒師が働きかける際には必ず光子量の増加が確認されているというが、これも、万人に共通して観測されることではないとして社会からはネグレクトされる。まあ、国家の利益にならないのだから当然だ。放射能漏れのことを考えてみてもある程度のことは推測できる。1000人に1人くらいおかしくなるのが出るくらいなら、政府は平気で運用するだろう。逆に1000人に1人にしか適用できないものでも、利益になりさえすれば公認されるのが医薬品だ。

輪廻転生にどのような意味があるのかといえば、過去生を見る能力の持ち主の語ることには、「経験を積んで学ぶため」なのだそうで、いつか肉体を持たない地球を離れた星に生まれ変わるのが理想なのだという。しかし、この言葉は過去を見たのではなく、過去を回想したものであって、現在展開中の自由な意思による後付けであるに相違ないので、ほとんどあてにできない。まあ、急いで煩わしい肉体から逃れようと、わざわざ出来の悪い親を選択して、修行のつもりで降誕することもあるらしいが、存外生まれてきたときはすっかり凡人として生まれてくることまでわかっていないらしい。それで虐待にあってうっかり自殺などしたら、5年も真っ暗悩みに閉じ込められて後悔するのだという。

人間側から世の中を見るのではなくて、宇宙全体を一つの生命として考えれば、輪廻転生ということも細胞の交換作業のようなものとして納得できる。そう思えない人間が多いだろうというのは、異常に肥大した自意識のせいだろう。ヒトだけが自らの意思で将来を開拓できる。そうして人は遺伝の与えた命令に逆らって、有史以来連綿として共食いを続けてきた。最近になってようやく「それはおろかなことだった」などと表向き表明しているが、現実はまだ世界中いたるところで戦争や内乱は頻発している。この習性を防ぐことはもう無理だろう。ホモサピエンスの肥大した前頭葉の宿命だともいうが、現在ではチンパンジーもボノボと出会ったとたんに戦闘を始めるらしい。彼らも脳を進化させて自然力に逆らう力を身に着けたのだろうか。クモ類の脳は意外に巨大であって、中には体の半分が脳髄だという種類もあるようだが、天然自然の摂理に従って、何億年も生きながらえている。

何十人もの体験が述べられているのを見ると、中にはただの白昼夢だろうとしか思えないようなものもあったが、大人になってからもこれだけ前世の記憶を保持している人間が多いのに驚かされた。自意識の発生ということについて別段摩訶不思議なことと思わないような人間でさえ、痛みの発生について考えれば、畢竟その痛みは幻覚だという結論に達せざるを得ないだろう。なぜならその感覚は脳髄の内部でのみ生じるものだからである。その部位に達するまでは単なる電気信号に過ぎないものだ。

ただ一つ断らなければならない大切な点は、輪廻転生とか生まれ変わりとか言っても、しょせんこの世の論理とあの世の論理とは大きく異なるものであるのだから、実際に転生が行われていたとしても、この世の論理で見る限り、『いやそれは輪廻転生を意味してはいない』という反証も容易に可能であることである。本書に取り上げられている例の中にも、『おやこれでは同一人物の複数の前世の生存期間が重なってしまうのではないか』というのがあった。しかし、あの世の論理ではそんなことはどうでもいいのだろう。輪廻転生の記憶は今現在の記憶の中にあるものであって、過去の再現とは異なるものだ。

退行睡眠の話が何度か出てくるが、退行睡眠はもともと精神分析の手法で、幼児期の記憶を無意識から意識下に思い出させ情報を取得させることで身体に出た無意識の非論理的な抑圧を抑えることに目的があるはずである。前世の記憶を呼び覚ますことが目的で行われたものではないのだが、なぜこのような遊びが流行しだしたのだろうか、これも世相の退廃で将来に漠然とした不安が現れたためなのであろうか。何事も流行しすぎると偽物につながる。虚偽の記憶、一種の白昼夢というやつである。記憶の再生は現在作られている現象であることを忘れてはならない。そして記憶の元はひっきりなしに書き換えられてゆくので、当然昔日の出来事を忠実に記録したものとは異なっている。

本書にも多少触れられていたが、この世の理屈で考えれば大変おかしなことなのだ。人は死ぬとその魂は肉体と分離して全体が混然一体とした人類全体、あるいは生物全体の魂へと帰るというのが死後の世界を見てきた人たちの共通した主張である。だから、前世の記憶といっても、そのもの個人の前世ではなくて、誰かほかのものの前世を見たというのが正しい理屈であるべきなのである。しかし、過去生の回帰に至っては、そうした正しいと思われているところの論理は通用しない。全体が混然としていても個でありうる世界であるということも考えられる。


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池川明 ソレイユ出版発行年月:2014年03月 ページ数:237p サイズ:単行本 ISBN:978


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