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zoom RSS 内側と外側での見解の相違

<<   作成日時 : 2017/02/05 09:22   >>

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またトランプ大統領の話であるが、彼の場合国内での支持が多い割には、海外での反感が強いようだ。日本での反感も強い。おそらくそれは外側から傍観的にものを眺めているからだろう。つまり客観と主観とでは物事がしばしば逆に映るのだ。前者の場合大概は理性が主役となりそうなことは大体察しがつく。当面我が身には関係ないからだ。ところが内側にいるものの場合、これとは真逆であって、情念のほうが表に出る。どこの国でもこれは同じだ。大概の日本国民が、今回の米国人の姿勢に怪訝を示しているのは、それが対岸の火事であるからだ。もしも自国で同様の事態が起こったとしたら、日本人の態度も今回の米国人の反応と似たり寄ったりであろう。英国の態度を見てもそれはうかがえる。去年はあの国でああいう国民党っ陽の結果が出た時は、世界中の先進国がイギリス人たちの愚鈍性を揶揄したものだ。それが今回は一緒になって他国を非難している。外側から見るのと、内側にいるのとでは、物事はしばしば真逆に見えるものだ。事件が大きければ大きいほどその傾向が強くなる。

数学史上での、無限をめぐっての2つの見解にもそれは表れている。実無限と可能無限という言葉でそれはあらわされている。前者の見解は「無限に無限を掛け合わせても元の無限と同じ」というようなものであって、文学的なものだ。非常な内面性を秘めているが、この考え方が現代数学の基本的なものだと思う。もう一つの「可能無限」というのがアリストテレス以来の考え方で、この方が自然科学の実相を表している。無限など実際には存在しないのだ。これは外側からの見方だといえる。客観性を帯びている。世の中には、可能無限しかない。数学とは情念的なものだ。それはギリシャ哲学の世界だ。頭で考えたものが正しい宇宙であるというものだ。そういう見方もあるといえばある。よく知られたものには、光の二面性というものがある。これなどは「思考の現実化」といえるかもしれない。


ともかくアメリカ合衆国というのは、単体としては世界最大の国家なのであるから、何か風変わりな問題が起きれば、これ見よがしに妬みつらみの反動からことさらに非難されるということは目に見えている。それでありながら世の多くのものはただ扇動されて主体性もなくだらだらと人の言いなりになって行動する。

何年か前に、米国内で感染病の疑いで自宅待機の命令を受けた人間が「自由の侵害だ」と勝手に表に出たことを思い出した。その時ウェブ上で見た多くのもの達の反応は米国政府の安全策を支持するものだった。今回はそれとは全く逆の反応だ。感染病の場合は日本が全く傍観できる状態ではなかったが、今回は全くアメリカ国内の問題といってもよいうえに、保護主義に回帰しない方が世界中にとって都合がよいという利権問題も絡んでいる。だからマスメディアは必死になってトランプを批判する。けだし報道はオーバーな表現に満ちたものになるだろう。

昨夕も書いたが、トランプにとって最重要なのは多分公約の実行だ。まず嘘をつかないことが最重要なことのはずである。まだ当分は公約通りの路線を継続していかなければならないだろう。そのうえでどうしても司法当局から許しが下りなければ、「これだけ努力したのだから」と支持者たちから嘘つき呼ばわりされる懸念も薄れる。まだまだ豹変は出来ないだろう。

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