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zoom RSS 横断歩道の真ん中を通る自転車

<<   作成日時 : 2017/03/29 13:18   >>

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よく見かける光景であるが、あれはどうなんだろうか。いいのか悪いのか気になる。原則的には自転車を降りて押して歩かなければいけないとなっているような気もする。何年か前に孫と思われる子供にそういうことを教えている爺さんがいた。しかし、本当は端っこの方を徐行して渡る程度で、速度も時速数キロという程度ならば別段構わないという気もする。真ん中を渡るような人も時折見かけるが、こいつらは元来知能程度が低くて普段からうだつが上がらないのかもしれない。バカは皆がやっていることを考えなしにまねするものだ。しかし、横断歩道を渡っている自転車は道路を走っている軽車両扱いの自転車ではないだろう。この場合は歩行者扱いの自転車ということになる。面白い乗り物といえば乗り物だ。これはバカには理解不能な乗り物であるに違いあるまい。

横断歩道のわきに自転車専用の横断線の表示があるのに、そこを通らないで歩行者レーンを横切る奴は完全にパーなのだから、バカに生まれた不幸を哀れむ意味も少しはあるだろう。それで本来ならば罰金でも科すべきなのかもしれないが、日常貧乏なのが見え見えなので警察もよほどでない限り取り締まらないわけである。

まあ、例外を言えばきりがない。故障したオートバイやスクーターを押して横断歩道を渡っていても別に反則でもなさそうだし、エンジン付きの車いすに乗ったまま時速20キロで横断歩道を渡っているものがいたら反則なのだろう。


それにつけても思うのは、こうしてだらだらと一人の後に続く人間根性の賤しさというものである。近頃の国会中継のニュースなど見ていてもそうした悪き模倣性を感じる。総理一人が言い出した「忖度」という言葉だ。全くあくびが伝搬するように盛んに使い始めた。これも自転車ぞろぞろと一種共通する悪徳なのか。今日あたり、原発反対の連中も使い始めた。今までも散発的には使われていたが、こう耳にタコができるほどたびたび聞かせられると気味が悪い。まるで漫才か何かのようにそうした言葉遊びのために、果たしてまじめに反対運動を行っているという気概が伝わってこない。気楽に反対しているだけといった感じである。オリジナリティが感じられない。オウムか九官鳥のことでと同じように心ない言い回しに過ぎないと思ってしまうからだ。あまり流行するので今年の流行語大賞という暇な遊びに選ばれそうである。

果たして人間各人は同一の宇宙空間と時間に存在を共有しているのだろうか。仮に共有していたとしてもそれはごく一部の接点に過ぎないのではなかろうか。それにもかかわらず、相も変わらずこうして模倣を続けるというのにはどういう仕組みが隠されているのであろうか。

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