タイトル | 日 時 |
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『ガダルカナルを生き抜いた兵士たち』を読む
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2018/09/23 09:19 |
インド洋作戦
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2018/09/08 09:06 |
『人間爆弾桜花発進』
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2018/09/02 08:10 |
旧陸軍の社会主義運動について
社会主義だとか共産主義だとかいうと、それだけで資本主義よりも劣った政体であると無条件に決めてかかるというものがやたらと多い。それもソ連だとか中国などといったいじめられっ子特有の反抗的国家のみを引き合いにして云々するものばかりである。果たしてソ連のスターリン政治が失敗だったかというと、どうにも肝心の子孫の国では「祖国の英雄」などと担ぎ上げられているらしい。どういう体制の国であっても、良い面悪い面両極端というものはあるもので、社会主義政策を巧妙に織り込んだ北欧諸国などの社会主義色の強い国が日本よりも... ...続きを見る |
2018/08/19 09:44 |
栗林兵団司令部の最期
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2018/08/16 09:22 |
『シベリア出兵』(中公新書)をよんだ
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2018/06/16 09:57 |
『北海道を守った占守島の戦い』を読んで
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2018/05/19 16:31 |
「WWU世界のロケット機」
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2017/09/30 08:28 |
『弱小国の戦い』を読んだ
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2017/09/23 08:27 |
グラマン戦闘機
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2017/09/02 08:32 |
『ドイツ高射砲塔』
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2016/06/18 09:23 |
「海兵隊コルセア空戦機」
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2016/03/05 09:22 |
「戦闘機『隼』」を読んで
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2016/02/27 15:09 |
「永遠の飛燕」
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2016/02/20 17:14 |
『アブロ・ランカスター爆撃機』を読んで
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2016/02/13 09:12 |
『悲劇の輸送船』を読んだ
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2016/01/24 09:18 |
「633爆撃隊 ラインメイデン作戦」を読んだ。
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2016/01/10 15:40 |
「B29基地を占領せよ」を読む
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2015/12/13 09:06 |
『山下奉文正伝』
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2015/11/28 10:23 |
「青春天山雷撃隊」を読む。
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2015/11/07 09:17 |
『激闘 ラバウル高射砲隊』
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2015/10/10 09:42 |
「迎撃戦闘機「雷電」」を読んだ。
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2015/10/03 10:24 |
『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』という本をよむ
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2015/09/19 09:19 |
『地ひらく〜石原莞爾と昭和の夢(上)』をよんで。
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2015/09/12 09:54 |
『双発戦闘機「屠龍」』を読んで
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2015/08/23 09:17 |
「撃墜王列伝」を読む
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2015/07/12 10:42 |
「幻の潜水空母」を読んで
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2015/06/27 09:35 |
「さらば空中戦艦富嶽」文庫版を読んで。
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2015/06/20 08:09 |
『紫電改入門』をよんで。
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2015/06/14 10:04 |
『炎の韋駄天戦隊―ミッドウェー囮作戦』を読んで
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2015/05/17 10:19 |
『無念なり 近衛文麿の闘い』
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2015/05/03 09:06 |
ナチスと安楽死計画(その1)
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2015/03/08 16:54 |
「赤紙と徴兵」を読む
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2015/02/28 11:49 |
『湖国に模擬原爆が落ちた日』というのを読んだ。
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2014/12/06 16:30 |
第三帝国の時代。
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2014/10/25 08:59 |
「傭兵の2千年史」を読む。
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2014/10/05 10:22 |
『白い死神』を読んで。
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2014/08/24 07:05 |
『近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇』を読んで
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2014/08/03 10:08 |
硫黄島の戦い
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2014/04/09 16:35 |
劣化ウランについて
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2014/02/03 17:23 |
安倍晋三氏の幼児性
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2013/12/29 12:07 |
「米軍が恐れた『卑怯な日本軍』」を読んで
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2013/11/06 16:44 |
アメリカ独立戦争
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2013/06/09 16:18 |
従軍慰安婦について
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2013/06/05 17:27 |
無差別爆撃ということ
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2013/05/21 10:25 |
東京大空襲式典
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2013/03/10 16:45 |
ピラミッドの戦い〜ナポレオンの戦役A
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2013/03/07 14:12 |
ロディ橋の戦い
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2013/02/28 11:19 |
『原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラー』を読んで〜前編
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2012/11/25 16:44 |
『マルタの碑』という小説を読んで〜第一次大戦まで
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2012/10/10 16:59 |
『西欧の植民地喪失と日本』を読んで。
この抄訳本は西欧人から見た日本軍の進駐というものを知らせてくれる点で、きわめて印象深いものであった。同時に日本の明治維新以降の振る舞いが如何に世界の趨勢から外れたものであったかも教えてくれる。われわれが良く口にする「戦争はお互い様」という意見は、ずいぶん身勝手な自己弁護に過ぎなかったようである。何しろ「われわれはアジアを開放した」などと自己陶酔していたのは日本だけで、実際はただのはた迷惑なおせっかいであったというのが本当らしい。それを思うと、現在中国が靖国神社の件で云々するのも、内政干渉のうちに... ...続きを見る |
2012/09/03 14:40 |
大英帝国の植民地時代
アヘン戦争の歴史などを見ても、『これと似たようなことを日本も行なったのだ』などということは考えようともしないものが多そうだ。しかも、アヘン戦争に関しては中国人のほうにもその原因を招いた責任というものが少しはあるから、あまり大きなことは言えない。中国人が横暴すぎて、ヨーロッパ人たちの国力が低いことをいいことにして暴利をむさぼっていたので、仕返しをされただけだ。このことは前に「中華帝国の危機@〜マカートニーの派遣」(まだAは書いていなかった)で触れた。 ...続きを見る |
2012/08/19 17:03 |
原爆記念日
最近は連合国であったところの人間までが、「原爆など使用せずとも通常兵器で戦えたはずだ!」などとよく分からないことをいう.自国の兵士を犠牲にして、敵国の人間の命を助けるという考えとしか思えない。これは奇想天外なおめでたい思考であって、時間が経つにつれて、過去の出来事というものが空想と変わりなくなるというところからきているのだろう。 ...続きを見る |
2012/08/07 16:50 |
日本の原子爆弾製造計画
『日本の原爆』(保坂正康、新潮社2012年4月)という本を読む。装丁はしっかりとしたハードカバーでしおり紐も付いていが、1575円と値段は手ごろだ。見開きに「原子爆弾研究開発の関係図」というのが描かれていて、日本の原爆開発は主に陸軍航空本部に属する理化学研究所の仁科芳雄研究室が中心となって研究を行なっていたというようなことがわかる。「原子核、中間子の理論チーム」の中には、仁科芳雄(1890−1951)や玉木英彦と並んで、朝永振一郎(1906−79)や湯川秀樹(1907−81)の名も見える。陸軍で... ...続きを見る |
2012/08/02 16:58 |
北方の歴史〜近代化以降
太平洋戦争終息時点に付きまとう一番大きな誤解といってよいのは、ソ連が一方的に日ソ中立条約を破棄したというものだろう。これについては、同条約締結後のわずか2ヵ月後の1941年、ドイツがソ連に進行した時点で、時の松岡洋介外相が『日本の基本的な外交政策は三国同盟であり、独ソ戦と日ソ中立条約が矛盾するような事態になれば中立条約は効力を発揮しないであろう』旨をソ連駐日大使マリクに伝えている。そして7月2日に、所謂「関東軍特種大演習」(関特演)という計画を御前会議でたて、70万の兵を満ソ国境に終結させ、ドイ... ...続きを見る |
2012/07/27 16:24 |
『陸軍登戸研究所と謀略戦』をよんで
表題の書物は、吉川弘文館2012年2月に歴史文化ライブラリーの一巻として発行されたものだが、1996年10月に始まったこの歴史シリーズがかなりの分量にまで充実しているのが少し意外であった。出版業界は不況で大苦戦などとあちこちでうわさしていたからだ。 ...続きを見る |
2012/06/01 17:24 |
『カブラの冬』
副題に「第一次大戦期ドイツの飢饉と民衆」とある。「カブラ」とあるからなにか地名のことかと思ったら、植物のカブラの一種で、日本でも一時食料用に栽培しようとしたが、まずくて食べられないので、飼料用とされていたものだが、ドイツでは今も一般にニンジンなどと一緒にして食べられているともいう。それはどうだか知らないが、和名はカブハボタンもしくはスウェーデンカブ、英語名はルタバガというアブラナ科の食物だ。 ルタバガ↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82... ...続きを見る |
2012/03/30 16:08 |
エルサレム王国と十字軍の歴史。
この前、フリードリヒ2世について記したが、現時点から世界史の流れを追ってみれば、彼がエルサレムを奪回したことは十字軍の歴史において唯一の成功例として、当然最も評価してしかるべき人物であるにもかかわらず、意外なことに、彼の名は十字軍の歴史の中に登場してくることはあまりない。現在一般的な歴史像では、イスラム国家の台頭の歴史のうち、始めの2世紀か3世紀は、イスラム教世界が優勢で攻撃的態度を示し、これに対して民族大移動期の不安定な状況にあった西欧のキリスト教世界は守勢の立場にあったということが強調されて... ...続きを見る |
2012/03/25 16:53 |
神風風船爆弾
風船爆弾というのは、終戦間際、当時15歳だった旧制中学の学生が自由時間に書いた作文を基に得られたもので、しかもその詳細に至る設計までその作文に書かれたままであったという。少年の名は、中西董(ただす)といって、この作文を書いた愛知中学校というのは、後輩の舟木和夫の『高校三年生』という歌詞の通り、木漏れ日が後者を赤く染める景色が印象に残るものであったそうだ。 ...続きを見る |
2012/03/08 16:16 |
日露戦争における旅順陥落
いまどきはクリスマス休戦とか正月休戦というのがあって、第1次大戦のときも、大体この期間は前線で敵味方の兵士が互いに談合しあって、中には贈物を交わしたりする例もあったらしい。こういう儀礼とか慣習があったことが、戦争とは政治形態の一種であるという伝統的な思想の妥当性を裏付けるものとなる。 ...続きを見る |
2012/01/01 10:49 |
ヒトラーの秘密図書館〜その1
『ヒトラーの秘密図書館』という本が届いた。1900円だが、370ページ以上もあるし、装丁もかなりしっかりしている。訳本のあとがきに2009年11月と書かれているが、ティモシー・ライバックの現著作が何時ごろ出たかはっきり書かれていない。しかし、ヒトラーの愛読していた書物から彼の思想を解き明かす試みは1300冊の蔵書が無傷のまま保管されていながら省みられなかったのは誠に不思議なことだと書かれている。しかし、このような卑劣な男が、大変な読書家で一万6千冊以上の蔵書の少なくとも3分の1には目を通し、類ま... ...続きを見る |
2011/11/23 16:27 |
ガダルカナルの戦い〜後半(その1)
始めに『ガダルカナル』という名前の起こりについて話すことにする。戦争について書いても、後半はいいところがなく、ラバウル航空隊の30機ばかりのゼロ戦部隊がまあまあ最後まで拳闘したらしいが、大局において日米の差が開くばかりで、終いにはアメリカ軍はコーラを飲みながらの戦闘といっていいくらいにまでなっていたそうだ。ソロモン諸島のまわりの島々と比べて、何か違和感のある名称で、やけに気になるので調べてみた。そうすると、ソロモン諸島というのは、前回話したように、スペインの航海士アルバロ・デ・メンダーニャが15... ...続きを見る |
2011/09/28 16:26 |
真珠湾の仕返し::ドゥーリトル爆撃隊
真珠湾攻撃後、一ヶ月足らずで日本本土への爆撃が考えられていたことには、その背景に、日本の潜水艦による米本土の襲撃という歴史的な事実が隠されているらしいということを知ったが、このことはまたまた新たな驚きであった。 ...続きを見る |
2011/09/22 16:28 |
ガダルカナルの闘い・・・前半
星亮一の「偽りの明治維新」という薄い本を読んで以来、日本政府自体がいんちき政府であるという感を強くして、おまけに産業革命以来環境破壊の主役を務めてきた殖産興業の原動力となったのが、戦闘で傷付いた大衆自身であることも加わって、あまり日本の近・現代史というものを調べようという積極的な気にはなれないでいる。 ...続きを見る |
2011/09/20 16:49 |
敵前逃亡兵の処遇について
第2次世界大戦中の東部戦線でソビエトが行なった話は大変よく知れ渡っていて、突撃する一般の兵卒の背後に秘密警察が潜んでいて逃亡しようとする兵士は片端から撃ち殺した。これはスターリンの作った規範に、「逃亡兵は銃殺かあるいは戦車でひき殺す」ということが決められていたそうだが、別段スターリンだけが冷酷だったわけでもなく、レーニンなどもこういうことは行なったらしい。 ...続きを見る |
2011/09/07 16:22 |
世界の終戦記念日
この前書いたように、日本は例外的にポツダム宣言の受諾を表明した玉音放送の行なわれた8月15日を終戦記念日としている。連合国各国は、9月2日か3日としている。それは、アメリカのトルーマン大統領が、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印がなされた日の9月2日を終戦の日と決めたからだが、これは理屈から言って妥当な日と思う。 ...続きを見る |
2011/09/02 17:05 |
ピコラエビッチ紙幣
「ピコラエビッチ紙幣」というのは、尼港事件で有名な極東ロシア領の小都市二コラエフスク・ナ・アムーレにある日本企業の島田商会が発行した紙幣で、下落の激しいルーブル札(*)を保管し、町の産業を支える紙幣として大いに流通していたという。ダイヤモンド社から出版された同名の歴史小説の筆者は熊谷敬太郎氏は昭和21年の生まれで、雑貨の輸入業を営んでいたが、印刷業のほうも手がけたことがあるらしい。『ピコラエビッチ』の始めの『ピ』は『ニ』の誤植だという。ロシア語では『H』がN音をあらわすのだが、Hの横線を上にもと... ...続きを見る |
2011/08/24 16:10 |
ノアの箱舟と並ぶ人類の考えた最大の船、パイクリート空母
「氷山空母」という名称を始めて耳にしたのはもうかなり以前になるのだが、その頃は『戦時中の空想のような無駄な建造物で、どこかの大氷河を切り取って船にするものなのだろう』などと思って、大して気にも留めていなかった。その後ネットでも何回か検索してみたが『実現されなくて、かえって正解であった』などという意見ばかりであった。大体だれもが資源の無駄遣いに過ぎないといっているが、どうも思い込みによるようだ。高々この20年か30年の間に通湯していた経済上の効率性という法則を無条件に信じているだけだ。しかしながら... ...続きを見る |
2011/08/16 17:23 |
ソ連進行の日
1945年の8月8日、半年前に結ばれたヤルタ協定に基づき、ソビエト連邦が日本に宣戦布告をした。アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相スターリン、それとソ連のスターリンの三者会談で、「@ドイツに対する戦後処理として、米・英・仏・ソの四カ国統治、A国際連合の設立、Bソ連の対日参戦(ドイツ降伏後2,3ヶ月以内)と、千島、南樺太の奪回、Cポーランド国境の確定として、第1次大戦で定められたカーゾン線を基調とすること、D中国代表として蒋介石政権を認めること・・・」などが決められた。クリミア半島の保養地ヤル... ...続きを見る |
2011/08/08 16:10 |
終戦工作について
大日本帝国がアメリカと戦争を始めたなどという報道が巷に広がると、昭和初期の人は軍部がそれなりの周到な準備をしていたことなど思いもよらなかったらしく、緒戦の勝利の報を聞いても『どうせ一週間もすれば敗退するに決まっている』と、それなりの資産家は誰しも株の空売りをしたり米ドルを買いあさったりしていたらしい。米ドルが買える人などめったにいなかったであろうが、株の空売りで一文無しになったという話はかなり多かったようだ。アメリカに負けだしたら株価が下がったかというと、軍需株などは敗戦当日まで上がり続けたとい... ...続きを見る |
2011/08/06 16:47 |
ゲルニカの悲劇の嘘
嘘というほどでもないが、「最初の無差別爆撃」などというのはどうやら当らないようである。というのはゲルニカ爆撃の行なわれたのは1937年4月26日のことだが、戦略爆撃が戦争に有効であるという理論が普及したのは、すでに1920年代のことであり、スペイン内戦においては、その前年からフランコ側、共和国側を問わず、両軍によってかなり行なわれていたようであるからである。しかも、市民の殺傷は、ドイツ側ではなく、民族戦線側のほうが積極的に行なった模様である。それで、フランコ将軍を始め、ドイツコンドル軍司令官のフ... ...続きを見る |
2011/07/06 17:18 |
ひめゆり部隊解散の日
今日6月18日は、1945年に沖縄戦が敗色濃厚となって、看護用員として南風原(はえばる)にある沖縄陸軍病院に任意志願していたひめゆり部隊240名に解散命令が下った日だ。結成以降、この日までにも19名の戦死者が出ていた。解散されたから逃げられたのかと思うと、翌日から一週間の間に死者の80%が集中しているそうだ。この辺、まったく調べたことがなかったのだが、それほど米軍の進行が早かったということだろうか。解散命令というのは、牛島司令官の「最後の一兵まで戦え。学徒隊は本日18日を持って解散を命ずる」とい... ...続きを見る |
2011/06/18 12:06 |
戦時国民生産比較
第2次大戦の各国戦費というのを調べてみた。以下ここからの抜粋データ。↓ http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5227.html ...続きを見る |
2011/06/07 16:35 |
ランチェスターの法則
数学モデルを使った集団での最適な戦い方を求める理論である。個々の兵士がこの法則に従った行動をとるために必要なことは、兵士たるもの自由意志を持って臨機応変な行動をとるべからず、ということだ。その故に、ゼークトあるいはだれそれというドイツに名高い将校が、「前線の兵卒は勤勉であってはならない」としたのかもしれない。勤勉であることの有害性が少し見えてきたように思う。勤勉ということこそ、国家形態のいかんを問わず、ほとんどすべての人間がその悪弊に全く気がつかないどころか、正反対にその美徳性を推奨してやまない... ...続きを見る |
2011/05/18 15:50 |
ノモンハン事件(1939年5月11日〜9月15日)
従来、機銃装備程度しか持たない日本軍部隊が、ソ連軍戦車部隊に迎撃されて、部隊が全滅したなどといわれていた。ずっとそのような話を聞いていたが、どうもそうでもなかったようだ。局地戦でそういうのはあったが、ソ連軍が橋を爆破しなかったので、逃げ延びた日本兵もかなりいたらしい。しかし、ソ連軍が大被害をこうむった場合もかなりあったようだ。この戦いにおいても、越境したのは日本軍だけであったという。それで関東軍に越境爆撃の動きがあることを知らされた東京の大本営は、急遽飛行機を差し向けたが、関東軍は全く大本営を無... ...続きを見る |
2011/05/08 16:28 |
生命表の歴史・・死亡率と社会
この前、太平洋戦争前後の日本の人口推移というのを見ていて、戦争の激しかった頃とその前後で、目立ったような死亡率の上昇がなかったというのを、かなり意外に思った。統計上、優位な差と見られるのは、3割の減少があって、初めて死亡率の上昇が確定されるというのが通例らしいが、戦時中の人口の減少はせいぜい1割と少しであって、これは統計上は比較の対象とはならない量なのだ。それにもかかわらず、戦時中の体験談というのがすさまじいというのは、あれは記憶は造られるものというのもあるだろうが、それ以上に戦闘が局地的であっ... ...続きを見る |
2011/05/04 15:59 |
メシヌの屋根―最大の化学爆弾
ベルギー西部の都市イーペルの近郊で行われた。第1次大戦の西部戦線で起こった「第3次イーペル会戦(パッシェンデールの戦い)」(1917年7月末〜11月)の前哨戦で為された軍事作戦において、塹壕地下室に潜んでいたドイツ兵1万人がこの破壊工作によって一瞬に死亡した。イギリス、ANZAC(オーストラリア、ニュージーランド連合軍)、カナダ、南アフリカの5カ国連合軍はこの工作に2年半の歳月を掛けた。爆破に当たったのは、イギリス第2軍で、合計21個の巨大な地雷を地下30メートル以下に、それぞれセットした。行動... ...続きを見る |
2011/04/09 17:15 |
昭和の東南海地震
100年か150年周期で起こるが、最近のものは、1944年の12月7日におこった。それで「昭和の東南海地震」といわれる。この地震は名古屋の重工業地域に大打撃を与え、日本の敗戦を早めたといわれている。なんとも間の悪い地震で、当時名古屋の工場で戦時品を製造していた人には、さぞかし決まり悪いものに映ったことだろう。この地震による死者は約1千名、重傷者は3千名と、存外なものに報告されているが、紀伊半島東側の熊野灘を震源域として、マグニチュードは8.0(7.9)もあるというものであった。 ...続きを見る |
2011/03/14 17:23 |
日本軍の大虐殺。
1894年、日清戦争において日本軍は旅順市民一万数千人を虐殺したという。最も中国内の資料だから多少の上乗せはあるだろう。欧米の資料には500人というのもあるそうだが、500人でも大虐殺には違いない。日露戦争終結までの日本軍はそのような野蛮なことはしなかったと思い込んでいたので、これにはかなりびっくりした。旅順がロシアに占領されるのは1897年のことだから、当時住んでいたのはほとんど中国人だろう。確実な証拠というものはないのだろうが、そういうことが史実として語り継がれているということには必ず理由が... ...続きを見る |
2010/10/27 16:30 |
第2次大戦イタリアの戦艦
ヴィットリオ・ヴェネト級の最新鋭戦艦ローマは、ドイツ空軍ドルニエ爆撃機の投じたフリッツX滑空誘導爆弾に装甲甲板を破られて轟沈した。総重量1.57トンの爆弾に厚さ20センチほどの甲板を破られたわけで、そのため、イタリア軍艦は弱かったという歴史観が定着した。爆弾一発で沈む戦艦など世界中どこを探しても見当たらないせいもある。 ...続きを見る |
2010/10/20 15:42 |
総統の大本営
この前ノルマンディーについて調べたら、急に70年前の大戦について知りたくなった。現在歴史にその名をとどめている多くの将校が、今この時点に生きていたとするならば、おそらくただの極ありふれたサラリーマンであるか、あまりできのよくない自営業者として、まったく人に知られずひっそり間として障害を閉じてゆくのだろうと思うと、何とも感慨至極な念に打たれる。 ...続きを見る |
2010/09/29 17:16 |
ノルマンジー上陸作戦。
「史上最大の作戦」などといわれるから、ドイツ軍の戦力などより凌駕していただろうなどと思いきや、意外にも総戦力は全軍上陸に成功していた場合でもドイツ軍の半分にも満たなかった。そのせいかどうか知らないが、本体が上陸を開始しても、ヒトラーは「戦力が少なすぎる」と、東部戦線よりにあった予備兵力を差し向けることはしなかったという。ドイツ軍の航空機もほとんど飛んでこない手薄な警備の中、比較的少ない犠牲で連合軍は上陸することが出来たらしい。1941年のソ連進行が予定よりも遅れたためと、降伏よりも玉砕を選ぶソ連... ...続きを見る |
2010/09/26 17:46 |
ナチスと音楽
先にゲッべルス(ずっとゲッペルスという風に読んでいたが、にごって読むのが正解らしい。そういえば、ライプニッツのことを’ライブニッツ’と書いている数学者がいた)がイ音を440ヘルツに決定し12音階の出発点としたことを述べた。音楽は大衆操作にとって、非常に大事な要素であって、ヒトラーもゲッペルスの音楽的才能は是非利用したかっただろう。また、共鳴の法則の大衆への応用には、絵画のように意識を止めずしては鑑賞できないものよりも、無意識のうちに麻薬のように脳内に幻想と快感をもたらすものは、音楽を除いてはない... ...続きを見る |
2010/08/11 17:15 |
原爆投下について
米内光政(1880―1948)に、「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」といったというのがある。当時の日本政府は大体こういう思いであったろうし、日本軍の一般兵卒の中にも「広島や長崎の人たちには悪いけれども、... ...続きを見る |
2010/08/06 17:26 |
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